« 七条町幻影 | トップページ | 二条城 »

2005年1月28日 (金)

塩竃社

京の台所と呼ばれている錦小路を東へ突き当たったところに錦天満宮がある。
伝承によれば長保年間(999~1004)に菅原道真の旧邸である菅原院の旧殿を源融(嵯峨天皇皇子)の六条河原院に移して歓喜寺として、そこに道真の霊を祀って鎮守社としたのが始まりで、その後秀吉によって現在の場所に移され、その時に寺内の天満宮が錦の東端にあたったことから錦天満宮と呼ばれるようになったと言われる。
名水の天満宮としても有名なこの本社の北におかれているのが塩竈社
祭神は源融。彼は邸内に陸奥国の塩竃の様子をつくりだし、毎月難波から潮水を運び、塩を焼く煙を絶やさず風情を楽しんだと言われている。
6・7年前に森浩一先生と新京極を歩いていたとき、何げなく入った錦天満宮で教えてもらったこと
歴史遺産はいつも目の前にある。そして
9世紀の人たちにとって塩竃は普通の情報だったということ。「昔」に対する先入観を取り払わなければならない好例とも。

久しぶりに時間ができたので、ゆっくり錦をあるいたら、鯉旨煮が目に付いた。長野県人としては懐かしい料理だが、関西の人は川魚を食べないと思っていたので少しびっくり。
とは言え、信長頃の料理の最上級のひとつが鯉だったようで、江戸時代の大坂の記録には、今の鴻池あたりに深野池があって、そこで鯉をとって大坂に売りにいっていたそうなので、大坂の人も川魚を食べなかったわけではないようで
琵琶湖の川エビも季節とのこと

ところで四条河原町周辺で名水が湧くということの意味も考えてみなくては

« 七条町幻影 | トップページ | 二条城 »

京都」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 七条町幻影 | トップページ | 二条城 »