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2005年2月 7日 (月)

二条城

二条城と聞くと、御池通りと堀川通りの北西にあるあの二条城が思い浮かぶ。障壁画のデザインが地下鉄を飾るほどの有名な歴史遺産である。
しかし京都にはもうひとつ二条城がある。信長が義昭のためにつくったと言われている館がそれで、現在の烏丸丸太町の北西にあったと言われており、地下鉄烏丸線の建設に伴う発掘調査でその石垣が見つかったとされている。
今、その地下鉄を徳川の二条城が飾る。石垣は。
京都は貴族の都市であり、雅なイメージが先行している。
徳川の二条城もそのイメージをそこなうことなく、京都に溶け込んでいる。
しかしそれはあくまで二の丸だけであったことに初めて気づいた。
本丸の外観は見事な城であった。
その空間はまったく京都と異なった、全国各地に見られる武家の空間だった。
しかし周りを二の丸の空間に囲まれ、京都の世界からは直接見ることができない。
家康はこの空間を作ることで自らのアイデンティティーを確保したのだろうか。

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