« 飛鳥京 | トップページ | 新時代開幕 »

2005年3月13日 (日)

葛城

その帰りに葛城に寄る。岡寺から石舞台を過ぎ、高松塚の脇から国道に出て高取まで南下してから進路を西にとる。
蘇我川を渡ると正面に葛城の山塊が飛び込んでくる。
ひたすら圧巻である。
葛城川によって形成された段丘が緩やかな山麓を形成し、その中腹には浸食によってつくりだされた無数の細い稜線がのびる。
一瞬、郷里の伊那谷の風景が交錯する。
「ああ、ここなら大きな勢力が拠点にする」と実感
松原市に推定されている5世紀の反正天皇の丹比柴籬宮に続く国道309号線を一気に中腹まで上がり南に曲がる。
思えば大阪時代はこの国道309号線沿いで沢山発掘をした。
国道309号線が阪和道と交差する場所が5世紀の黒姫山古墳で、12世紀の河内鋳物師の本拠地。太井遺跡では7世紀の新羅土器の出た集落を掘った。南へ下れば7世紀の謎の大集落の平尾遺跡。狭山の丘陵を越えて富田林に入れば新家と錦織の遺跡がならぶ。
国道309号線もまた歴史の道である。
5世紀の壕で囲まれた大型建物がみつかった極楽寺ヒビキ遺跡は、この国道309号線を奈良側へ下りた中腹を南へ約2キロいったあたりにある。
さらに南へいけば役小角に由来する高鴨。
その山側には高天彦神社。すっかり神話の世界に紛れ込んだ気分
遺跡は、葛城山塊の南を鎮める金剛山の山頂を軸にして、先の高天彦神社-極楽寺-住吉神社(ここに住吉神社があるのがまた面白い)を経て国道24号線に達する線上にあたる。さらにこの線を下ると宮山古墳がある。
宮山古墳はともかく、拠点を示す遺跡がでないはずのない場所である。あの南郷遺跡はこの遺跡のすぐ下という。
弥生時代の地域の中心と思われる遺跡は沢山みつかっている。(邪馬台国以外)
けれども古墳時代の地域の中心と思われる遺跡は実はよくわかっていない。
7世紀以降の地域の中心と言われる遺跡のモデルは宮都研究に押されて見えない。
8世紀以降は官衙形式で標準化されているのだろうと皆思っている。
鎌倉時代の地域の中心と言われる遺跡の研究も遅れている。
前後の時代を無視はできないが、前後の時代の形の先入観にとらわれず、実態とその周辺にもっと目と気を配る必要がある。それが遺跡学の原点のはず。

極楽寺ヒビキ遺跡の説明会に行けなかったのがとても残念。けれども森先生の遺跡の見方はこんな風にして鍛えることができる。

[葛城住吉神社のGPS情報URL]
http://walk.eznavi.jp/map/?datum=0&unit=0&lat=+34.25.32.58&lon=+135.42.45.80&fm=0

« 飛鳥京 | トップページ | 新時代開幕 »

遺跡の見方」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 飛鳥京 | トップページ | 新時代開幕 »