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2005年3月23日 (水)

名和長年

日本の歴史にとって非常に大きな転換期となった南北朝時代。その時代の扉を開いたのが後醍醐天皇。彼は嵯峨の大覚寺を本拠とした亀山院の一統で、これに対抗したのが同志社大学新町キャンパスの北に置かれた後深草院や伏見天皇に代表される持明院の一統。
彼は鎌倉幕府を倒そうと様々な計画をたてるが、元弘の乱による笠置の陥落で捕らえられ、隠岐に流される。しかし元寇と蝦夷の反乱などを原因とする反幕府勢力の高まりの中、元弘3年(1333)閏2月24日に島後の国分寺を脱出し、月末には伯耆大坂浜に上陸、大山の北峰にあたる赤碕町の船上山を拠点として朝敵追討の宣旨を諸国に発する。
これを受け、足利高氏らが六波羅と鎌倉をおとし、鎌倉時代が幕を閉じる。南北朝時代の開幕である。
このとき伯耆にあって全国に号令を発する後醍醐を護り新しい時代の扉を開いたのが、この公園に祀られている名和長年である。彼が後醍醐について京に入り、建武政権の要職を務めるも、足利の攻撃によってその生涯を終えた場所との伝説をもつ。
一条大宮を下がった静かな住宅街に紛れてあまり目立たないが、実は歴史を変えた立役者に関係する重要な場所なのである。
彼の詳細はよくわかっていない。大山とも関係をもち多くの家来を従えていた国人または在地領主といった見方が一般的だが、それと同時に彼の旗印が帆掛け船であったことから、海上交通を利用した商業行為にも秀でていたとの見方がある。去年山陰を回ったとき、平地の少ない風景を見ながら、そのイメージが強く実感された。その時、旗印の実物を探したが見つけることができなかった。
まさかここでそのモニュメントに出会えるとは思っておらず、雨が激しく降っていたが、ためらうことなく(水に弱い)デジカメを取り出した。
名和町には長年にちなむ様々な遺跡が残されているという。去年は予定がつかずに通っただけだったが、次はゆっくりまわってみたい。

[GPS情報URL]
http://walk.eznavi.jp/map/?datum=0&unit=0&lat=+35.01.31.67&lon=+135.44.56.41&fm=0

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