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2005年4月22日 (金)

東福寺

もちろん紅葉の名所であるが、歴史遺産的には
博多の承天寺との関係や韓国の新安沖の沈船や「太平御覧」などが重要
東司で埋甕の見られることも注目
それから石臼と水車の描かれた「大宋諸山図」も
石臼の起源は7世紀前半の曇徴の碾磑(てんがい)にさかのぼり、大宰府には8世紀以前とされる巨大な石臼がある(ただしこれは工業用?)。あまり知られてないが唐招提寺にもある。が、これらは極めてまれな例で、遺跡から普通に石臼がみつかるのは、室町時代後半になってから。
また梶原氏を出自とする無住が東福寺2世となったとき、「雑談集」の中で「夏は麦飯粥なとにて命をつきはべり。愚老病体万事不階の中に、老子の言える禍いの中福にて、麦飯と粥を愛し侍る故、分の果報なり」と粥と麦飯を好んだことを強調している。
原田信男1999「中世村落における食生活の様相」『日本の食文化』2(雄山閣)
あまり情報の無い鎌倉時代の京都を知る上できわめて重要

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