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2005年5月

2005年5月31日 (火)

SWING GIRLS &全力青年たちが

学生プロジェクトチームの応援に
発掘調査事務所でビデオ記録を担当していたS君とT君を
京田辺に呼んだ
興戸に着いて線路際を歩いてしばらくすると
急に胸を押さえて苦しそうな様子
どうしたと、声をかけると
二人とも数年前にここで過ごした切ない青春の日々を想い出し
胸が苦しくなったそうな
忘れてしまいたいことや大切にしまっておきたいことが
ここには、あまりにもたくさん詰まっていると言う
キャンパスのあちこちにあの頃の自分の姿が見え隠れして
思わず胸が熱くなったと言う
1億8000万画素のスキャナとビデオの打ち合わせを終え
彼らは熱い想いを抱えたまま今出川へ
別の会議が終わったのは20時を回っていた
部屋に戻ると実習助手室のドアが開いていてにぎやかな話し声が聞こえる
中ではSWING GIRLS &全力青年たちがプロジェクトの打ち合わせやら学部の理念やら
かつてHというプロ野球チームにいて現在Nに移籍している
Y選手への熱い想いやらXHTMLやらの話をしている
思わずさっきまでいたS君とT君を思い出して話し込む
向かいの501ではGISの勉強会をしている
入学式から2ヶ月がたった
頼もしいSWING GIRLS &全力青年たちのパワーで
夢告館は確実に着実に前進している

湊川神社

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2005年5月29日 (日)

寒梅館な日々

今日は夕方から寒梅館のイケメンカフェ
今出川キャンパスの整備計画にともなう発掘調査の事務所を切り盛りしてくれていたMHさんが
長年の夢の実現に向けてOへ旅立つ送別会
18時からの会に彼女を慕って30人以上が集まる
幹事は、調査が始まったときには1回生で、今や院生となった
IくんやNくん  なんということでしょう
大半は2回生と3回生で、4回生は教育実習などの合間をぬって顔をだす
就職内定の出たものもいる 大阪からかけつけた卒業生もいる
みんな元気そうでよかった
振り返れば2001年の11月に文学部事務室で会ったのが最初だった
それから2005年3月まで
持ち前の明るさで整理室をみごとにオペレートしてきてくれた
参加した学生は100人を超えるのではないだろうか
全ての学部の学生君たちが、彼女に支えられて各自の得意な分野で
今出川地点の遺跡調査に関わった
その成果が寒梅館の展示と今日の参加者の笑顔である
遺跡というものが、特定の専門家に限ったものではなく
興味ある全ての人を楽しくしてくれるものであることを
彼女は証明してくれた
ひたすらうれしい
地球は年々狭くなっている
乗ってしまえば9時間の先
無理せず 無理せず
次に合うときは
整理室の仲間に負けない
文情の陽気な学生君たちも紹介しよう
元気で

佐賀鍋島藩屋敷跡

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2005年5月28日 (土)

ボーリングな日々

今週も機器設定と
6月4日の学部説明会へ向けてのプロジェクトに奔走
最大18,508万画素(各色)のデジタルバックスキャナの設定は事情により一時中断したものの来週月曜にはできそう
蛍光X線分析装置の設定はもう大丈夫
3Dレーザースキャナも無事見通しがつき
施設案内引率の講習も順調
ビデオチームは先行してアーカイブを開始

そんな27日に、鳩山由紀夫議員が
情報の専門家として文化情報学部の客員教授に就任することが
発表される
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200505270010.html
http://産経新聞.jp/news/050527/sha008.htm
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2005052700024&genre=G2&area=K20
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20050526STXKE095626052005.html
さっそくプロジェクトチームに新たな企画を提案

そんな夢告館な日々の合間をぬって
夢5クラスとボーリングへ
1ゲームはまあまあだったが
2ゲーム目はボロボロ
体は正直
うっかりお楽しみ画像の取得を失念

2005年5月27日 (金)

ドラマな日々

文化情報学部の学生プロジェクトが形を表しつつあります
毎日夕方の夢告館は大騒ぎ
先日も、6月中旬完成予定の学部パンフレットの表紙デザインについて大ミーティング
ちゃんと一人がまとめ役になって、問題を整理していって
楽しい楽しい
みんなそれぞれの得意分野を活かして
デザイン、企画、調整、記録などなどに
才能の個性を発揮
すばらしいパンフレットができあがります
ご期待ください
さらに、その後には学部説明会やオープンキャンパス
学部紹介ビデオの制作やHP運営
もちろん交流を深めるイベント企画も
なんやかんやと目白押し
そうそう明日はクラスのボーリング大会です
楽しい画像は絵日記へ

2005年5月26日 (木)

報土寺の傾斜

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2005年5月25日 (水)

報土寺

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2005年5月24日 (火)

中立売の傾斜

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2005年5月23日 (月)

唐津小笠原藩邸

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2005年5月22日 (日)

吐師七つ塚古墳

南山城では古墳時代の中期になるとその中心地は城陽になるが
この古墳群はそこから遠く離れた木津町にある
従来の説明に新たな視点を加える必要がある
南山城の遺跡情報を網羅的に収集して
もちろん位置情報をベースに
森先生の研究に学びながら
南山城の古代・中世の文化情報的な見方をおこなう
必要がある

2005年5月21日 (土)

チームPBJ始動

文化情報学部では
いよいよ
学生が中心となって文化情報学部をプロデュースするチーム
が活動を開始しました

現在のメンバーは学生44名、教職員8名

先週から、学部紹介パンフレットの表紙について討論をして
その撮影のためにキャラバンを組んでキャンパス内を東奔西走して
できた画像をみんなでフォトショップで加工して

来週は
これから計画されているさまざまなイベントの実行に向け
それぞれのプロジェクトチームの組織立てが始まります

文化情報学部らしく、多彩な感性と発想と特技をもった学生君たちが
自ら文理融合を模索し、実践しながら
新しい学問の可能性をきり拓いていきます

キーワードは
未・来・思・考

ご期待ください

2005年5月20日 (金)

デジタルガイドブック

新しい歴史遺産活用の形として
かつて出来事がおきた場所で
その事件を再現して歴史の疑似体験が可能なシステムを開発中です
歴史に学ぶと言うことは、教科書や本で学ぶことではなく
その事件がおきた場所で学ぶと言うこと
それが本当の意味での歴史の勉強であり研究
なぜ多くの人が明日香を訪ねるのかというと
そこには蘇我蝦夷・入鹿の邸宅があったと伝えられる甘樫丘があり
その麓には飛鳥板蓋宮があるという臨場感が今もあるから
歴史に学ぶためには、そういったリアリティが最も重要
けれども、日本列島の中で、そういった生きた歴史景観の
残っている場所は稀
そんな時にVRで臨場感を疑似体験できれば
私たちは歴史に学ぶ機会をより多く持つことができる
デジタルガイドブックとは
既存の類似製品のような技術優先の機械のことではなく
歴史に学ぶということの意味を知った人間が
歴史に学ぶと言うことの意味を知った人間に送る
知恵や探求心や向学心を高める仕組みのこと
これからの歴史研究にも歴史教育にも
観光にも地域計画にも
必須のキーワードとなる
手始めは大阪城で
そして上京で

2005年5月15日 (日)

賀茂祭り

今日は葵祭遠足でした
天気は薄曇りで、炎天下でないのが幸い
文化情報学部の1回生40人余と先生方6人が
10時半に今出川キャンパスの正門に集まって出町橋へ
(日曜なのに正門が開いていたが・・・)
地下鉄に乗っていたときから観光客の多さを感じていたが
下鴨神社へ近づくと観光客がぞくぞくと増え始める
糺の森での観覧をあきらめて出町橋で行列を待つ
なんと、ほぼ4半世紀ぶりだ
11時をまわって先頭の行列が姿を現す
目が行ったところ
刀の鞘、馬の飾り(古墳時代の馬具を思い浮かべる)
クツ、ホカイ、などなど
行列を見終わって賀茂川の河原でお弁当と
S・I・T・F先生によるミニ講義
S先生は日本的な表現について
I先生は平安時代の男女のコミュニケーションについて
T先生は古代の楽器と葵祭の関係について
F先生は源氏物語について
今日の学生さん達はとてもおとくな時間を過ごせたと思う
13時20分から走馬の儀を見て、本殿へ
狂言をやっていたのは知らなかった
ここで遠足の第1部は終了
健脚組の20人弱と上賀茂神社へ行く
先生方は4人
さわやかな風の通る賀茂川の右岸を歩く
御薗橋で先頭を追い越して上賀茂神社の鳥居前で観覧
終了は4時半
1回生の元気につられて
下鴨から上賀茂まで思わず歩いてしまったが
このあとまだ八坂神社へも行くと言う1回生
がんばれ
近頃の若者はたいしたもんです

2005年5月14日 (土)

和泉式部墓所

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2005年5月13日 (金)

聚楽第

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2005年5月12日 (木)

道頓堀

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2005年5月10日 (火)

造酒司

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2005年5月 9日 (月)

佐賀藩鍋島屋敷

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2005年5月 6日 (金)

鴨氏

5日の京都はすっかり初夏の雰囲気で、お昼に向けて気温がどんどん上昇
賀茂川と高野川の合流付近は、青春真っ直中の若者たちの熱気でさらに温度が上昇
みんなの元気な顔を見てから、来週の葵祭遠足の下見のために下鴨神社へ
正式な名称は賀茂御祖(みおや)神社と言い
北区の上賀茂神社(賀茂別雷(わけいかずち)神社)とあわせて賀茂神社と呼ばれている。
毎年5月15日には、この賀茂神社を舞台に京の三大祭りのトップを飾り葵祭がひらかれる
葵祭も正式には賀茂祭(かものまつり)という
起源は欽明天皇の時代にさかのぼる厄災を鎮める祭りとも言われるが
詳しいことはよくわかっておらず、現在の葵祭の形式が整ったのは元禄時代以降とも言われる
そもそも鴨氏は大和の葛城を本拠とする氏族で、6世紀か7世紀に
相楽を経て久我(北区)の地へへ移動してきたと言われている
出雲氏や秦氏とならぶ、正真正銘の平安京の先住民である
なお森先生は、この鴨氏と秦氏の関係を書記にみえる河勝伝説の解釈の中でふれている
起源は平安京以前に遡るが、大きなお祭りとなったのは平安遷都以後に
賀茂神社が平安京と国家の鎮護の神社として
南の石清水八幡宮とあわせて位置づけられたことによるとされるため
長い京都の歴史のなかでいくつかの変質があったと見ることが必要らしい
葵祭から、平安京以前の鴨氏の姿を思い浮かべるか
平安時代の風景を創造するか、江戸時代の京都の繁栄を偲ぶか
それぞれの人にとってそれぞれの楽しみ方のできる祭りということになる
ところで、京都というフィルターをはずし、賀茂神社の位置を地形的に見ると
川を遡って扇状地の始まり(水利の元)を押さえた場所という言い方ができ
開発領主が拠点にする典型的な位置にあたる
単純な言い方をすれば、下鴨神社は、その位置から下流の耕作地をおさえるためにおかれたとも
もっと単純な言い方をすれば、四条以南にいた八坂氏までの間が、鴨氏の経営範囲だったということにも
それでは上賀茂神社はなにかというと、奥宮として見ることができだろうか
ここまでが今のイメージ
[GPS情報URL]
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帰りに河原町の本屋で宇治の特集をやっている佛教芸術を発見
買わなくては

2005年5月 5日 (木)

出町妙音堂弁財天

出町の商店街を東へ出て、下鴨神社へ向かって賀茂川を渡る直前の位置
説明板によれば、本尊の青龍妙音弁財天画像は、西園寺公衡の長女寧子が1306年に後伏見天皇の女御になった時に持参し、伏見離宮に祀られた西園寺家の第二伝の念持仏と言われる。
西園寺といえば最後の元老と言われた西園寺公望
戊辰戦争で会津を攻略、邸内に家塾の立命館を創設
伊藤博文の後継者として立憲政友会総裁
第一次内閣では鉄道国有化をおこなう
桂太郎と交互に桂園時代を築く
西園寺といえば元は公経が自らの山荘北山殿に建立した寺院。西園寺家が衰えるとその地は足利義満に渡り、やがて鹿苑寺が建てられる。現在の西園寺は1590年に現在の上京区に移転されたという。秀吉登場
公経と言えば源頼朝の姪を妻として、四代将軍の頼経は外孫にあたるという
承久の乱で一時拘束されるが、その後婿の九条道家と連携して権勢をふるう
もともと藤原氏北家の一流で通季(1090~1128)が始祖。家名はさきの西園寺。ちなみに今出川家はその庶家
伏見離宮は享保年間に河原町今出川下がるの出町北鴨口に移転され、本尊も移されたとされるが、伏見離宮は持明院のことか
平安時代後期にたち、鎌倉政権を支持した西園寺が後伏見以降は皇室の外戚として勢力を維持、その拠点となった室町北小路周辺に庶家である今出川家などが屋敷をひろげる
その結果北朝を背景にもった足利義満は今出川家の屋敷を譲り受けの室町殿とする、さらに義満の北山殿は西園寺の故地
今出川キャンパスの周辺は近衛とあわせて西園寺にも注目する必要がある
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2005年5月 4日 (水)

鯖街道口

出町商店街の東
賀茂川の右岸
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2005年5月 3日 (火)

弁慶石

三条通りを河原町から西へ歩く
となりにあぶらとり紙のお店がある
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2005年5月 2日 (月)

池田屋

新撰組の事件で有名なあの場所
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2005年5月 1日 (日)

近江屋

1867年11月15日夜
坂本龍馬はこの場所で中岡慎太郎と話をしていた
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