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2005年5月 6日 (金)

鴨氏

5日の京都はすっかり初夏の雰囲気で、お昼に向けて気温がどんどん上昇
賀茂川と高野川の合流付近は、青春真っ直中の若者たちの熱気でさらに温度が上昇
みんなの元気な顔を見てから、来週の葵祭遠足の下見のために下鴨神社へ
正式な名称は賀茂御祖(みおや)神社と言い
北区の上賀茂神社(賀茂別雷(わけいかずち)神社)とあわせて賀茂神社と呼ばれている。
毎年5月15日には、この賀茂神社を舞台に京の三大祭りのトップを飾り葵祭がひらかれる
葵祭も正式には賀茂祭(かものまつり)という
起源は欽明天皇の時代にさかのぼる厄災を鎮める祭りとも言われるが
詳しいことはよくわかっておらず、現在の葵祭の形式が整ったのは元禄時代以降とも言われる
そもそも鴨氏は大和の葛城を本拠とする氏族で、6世紀か7世紀に
相楽を経て久我(北区)の地へへ移動してきたと言われている
出雲氏や秦氏とならぶ、正真正銘の平安京の先住民である
なお森先生は、この鴨氏と秦氏の関係を書記にみえる河勝伝説の解釈の中でふれている
起源は平安京以前に遡るが、大きなお祭りとなったのは平安遷都以後に
賀茂神社が平安京と国家の鎮護の神社として
南の石清水八幡宮とあわせて位置づけられたことによるとされるため
長い京都の歴史のなかでいくつかの変質があったと見ることが必要らしい
葵祭から、平安京以前の鴨氏の姿を思い浮かべるか
平安時代の風景を創造するか、江戸時代の京都の繁栄を偲ぶか
それぞれの人にとってそれぞれの楽しみ方のできる祭りということになる
ところで、京都というフィルターをはずし、賀茂神社の位置を地形的に見ると
川を遡って扇状地の始まり(水利の元)を押さえた場所という言い方ができ
開発領主が拠点にする典型的な位置にあたる
単純な言い方をすれば、下鴨神社は、その位置から下流の耕作地をおさえるためにおかれたとも
もっと単純な言い方をすれば、四条以南にいた八坂氏までの間が、鴨氏の経営範囲だったということにも
それでは上賀茂神社はなにかというと、奥宮として見ることができだろうか
ここまでが今のイメージ
[GPS情報URL]
http://walk.eznavi.jp/map/?datum=0&unit=0&lat=+35.02.11.91&lon=+135.46.21.91&fm=0

帰りに河原町の本屋で宇治の特集をやっている佛教芸術を発見
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