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2005年6月

2005年6月29日 (水)

バッテリー充電

本日はプレコロキアムとしておこなってきた学部全体の勉強会の最終日でした
5月の最初の週から8回にわたり、1回あたり3人の先生が
一人15分の持ち時間の中で、プロフィールや研究や文化情報学との関わりや、これからの豊富などを語ってきました
学生も先生も自由参加でしたが、毎回ほぼ100人程度の参加者が集まり
色々な話を聞くことができました
学生君達は、文化情報学部でこれからおこなわれる様々な研究の一端を垣間見ることができ
これまでどこにもなかった新しいジャンルの文化情報学に対して、おぼろげながらもイメージができたのではないかと思います
実際、彼らの中から、様々な分野を融合させた独自の実験を始めようとする動きも出てきています
まさに期待していたことです
先生達同士も、各自の専門分野を軸としながら、どの分野の研究とコラボレートできるだろかという見通しが得られたのではないかと思います
とくに今日のI先生は、ご自身の専門分野を活かして
それを具体的に実社会に展開させる身近で新しい提案をされました
さっそく学生プロジェクトHPチームの顧問としてご助力をお願いいたしました
つい先日のブログでは入学して2ヶ月って書いていたら
気がつけば早くも入学して3ヶ月
長かったような短かったような
色々なことがありました
どんな形でも良いから、多くの学生君達にとって
おおむね充実した日々だったと思えるべく努めて来られただろうか

けれどもまだ3ヶ月しか経っていないのです
焦る必要はありません
これまでの3ヶ月を長く感じた人も短く感じた人も
舞台の幕が開くのはこれからなのです
それぞれのペースで一歩ずつ歩いていきましょう
必ず未来は目の前に開けます

今出川からの帰り
最近の急激な気温の上昇と、しっかりした冷房列車に振り回され
興戸を降りてからの道のまぶしさに半分目をつむりながら
あきらめ気味な気持ちと一緒にMKに戻ってくると
Tくんと、今日誕生日を迎えたKENが
「携帯の電池が切れる-」「充電!充電!」と騒いでいる

過激な空梅雨でうっかりしていたが
本来、この時期は、雨雲を見上げながら
部屋の中でおとなしく過ごす日々が多いはず
さわやかな4月5月の活動に対してしばし充電する期間だったはず

人間というものも、季節というものもうまくできている
それが文化というもの
ということで、今週はさりげなく充電・むりせず充電

充電して試験に備えて
そして試験が終われば楽しい夏休みが待っています

追伸:4階ラウンジの七夕飾りに、1番にカードを付けました

2005年6月26日 (日)

つゆのあとさき

梅雨だというのに、雨の少なさが不安になってきた25日の午後
第2回目の学部説明会がおこなわれた
今回は学内校120名と学外校の約30人
迎えるプロジェクトチームは総勢40名
プログラムは、施設案内と情報取得機器の実演
施設案内のチームは4つ、機器実演のチームは5つ
準備は11時から
次々にプラズマとホワイトボードが運び込まれる
前回の経験をふまえ、みな少しだけ余裕がある
すっかり説明も堂に入ったもの
その模様は学生プロジェクトのサイトで
今回は、これらの説明に加えて
高校生と在学生の交流の場ももたれる
4時からの最初の引き合わせだけをして、撤収の様子を見に行く
だいたい片付いて、ほっとしてコーヒーを飲んでいたら4時半
さて、どうなっているかと見に行くと
なんと、すっかりうちとけて盛り上がっている
下宿の探し方とか学生生活とか
やれやれ、たいしたもんです。脱帽脱帽
5時をまわったので、お開きにしたけれど
高校生の皆さんも名残惜しそう
来年の4月にまた会いましょう

全ての片付けが終わってさて帰ろうかと思っていると
AっくんとKさんに呼び止められる
春学期の終わる直前にお楽しみのイベントを立ち上げたいと言う
自発的で頼もしい動き
試行錯誤をしながらでいいから、自分たちができることを勉強する絶好のチャンス
こういった動きの蓄積が、本物の学生プロジェクトをつくっていくと思います
がんばれ

日曜の昼下がり、月曜からの準備をしていたら
Aっくんからメールが届く
「七夕が近いので笹の準備をしようとおもうんですが」
感動してしまった
デジタルだけど人間を探求する心-文化情報学部のキャッチそのもの
でっかいやつだなあAっくん

参考までに、鋤柄には炭窯の短い論文があります

2005年6月24日 (金)

黒田如水

清明神社が千利休の聚楽屋敷だったとは




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わたしを貴船へ連れてって

我が文化情報学部の一期生たちの中には、鋤柄の専門はプロデュースでジャンルはバラエティーだと思っているものもいるかもしれないが、もちろんそんなことはなく、あくまで正統派の歴史研究者だと自分では思っている。
そんな歴史家にとってとても大切なことが、ヒストリーというストーリーを語ること
ジョン・H.ア-ノルドが言っているように、歴史とは真実と思われる事実を並べることではなく、それらの絡み合いがうみだす人間のストーリーを語ることだと思う
森浩一先生の考古学の世界を読めば、そこに臨場感溢れる古代の人々が姿を現す
網野善彦先生の「蒙古襲来」を読んだときは、ページをめくるのがもどかしいほどに興奮したことを覚えている
石井進先生の本からは平国香が飛び出してきた
そして目標としているフェルナン・ブロ-デルもしかり
そんな、くめども尽きぬ知識の源泉から次々と紡ぎ出されるリアルなストーリーが、歴史の最大の魅力なのである
しかしそういった臨場感溢れる語りも、明密な調査を元にしたものでないと歴史にはならない
綿密な調査と豊富な歴史家としての経験が生み出す言葉が、はじめて臨場感溢れる歴史を創り出すのである
その意味で歴史家に必要な要素は、綿密な調査とそれを総合して物語る力となる
今日は、秋学期におこなう企画の準備で北山をめぐった
マルチメディア担当のTくんと、語り部担当のKさん、そして実はメッセンジャーの得意なIさんと
大原から北山杉の間を縫って鞍馬へ
静原から鞍馬街道へ入ると道は一気に狭まり、貴船川に沿って走る京福電車の軌道が見え隠れする
鞍馬へは学生時代に3度行った。五月満月祭(うえさくさい)と竹伐り会式と火祭り
グローバルでとても不思議な伝承をもつ寺で、そのせいか
ここに来れば異界との交感も当たり前におこなえる気になる
ひとつ石段を踏み間違えたら時空を越えて平安時代に行ってしまいそうな そんな場所
貴船は川床の季節に入っており、狭い街道ににぎわいが満ちている
30年近く前に来たような気がするが記憶が定かではない
東に鞍馬の山を仰ぎ、街道に沿って朱い鳥居が並ぶ
北山杉と貴船川に囲まれた中に、荘厳さと非日常感が漂う
30分後、烏丸今出川の喧噪の中に立ち、地下鉄に向かう
10分の1秒だけ、あの時間と空間との乖離にとまどいを覚える
歴史家は、この瞬間のとまどいにこだわり
今、目の前に見えていないが、確実に存在した荘厳さと非日常感の探求に向かって歩き出す
さまざまなイベントとプレゼンテーションは
そんな歴史家が非日常を描き出すために必要不可欠な要素
さて
マルチメディアンのTくんと語り部のKさんは
どんなパフォーマンスを見せてくれるだろうか

2005年6月23日 (木)

デジタル大航海時代

男もすなるブログといふものを、女もしてみむとてするなり。
鋤柄的な文化情報学部的?には(的を多用するのはいけないことらしいが)
リアル空間とバーチャル空間を自由に行き来して
これまでの社会や人間関係と、さらにそれを越えた社会や人間関係の協調による
新しい社会の創造をめざすのがひとつの目標
webサイトのオペレーションやブログでの情報発信はそのための良い練習
とは言え
日本で商用のインターネット接続サービスが始まったのは1992年だという
人類が世界を意識して大海原に飛び出したのは日本でいうと室町時代
リアル空間での地球規模のコミュニケーションは約500年の経験を持つ
しかし人類がネットの大海原を自由に泳ぎ回るようになって
まだわずか10年とちょっとしかたっていない(あくまで日本を基準にしてだが)
人間の経験年数で言えば、やっと小学校に入るか入らないかくらい
自分の発言を不特定多数の人間が見ることに対する緊張感と非実在感
これはこれまでの人類の歴史に無かった全く新しい体験
かつての大航海時代、荒くれ者の船乗り達が
世界の各地で出会った驚きや緊張やその他諸々のできごと以上の状況を
わたしたちはなにげなく毎日体験しているのです
社会と個人との関係も、個人と個人の関係も
500年はともかく、まだまだ試行錯誤の段階が続くでしょう
羅針盤の代わりにGPSで場所を確かめ
慎重にひとつひとつ進んで行きたいと思います

Tくん、Uくん、Aっくん、Kくんを始めとする航海士達がんばれ

ところで学生プロジェクトチームの活動に共通するキーワードのひとつが
「コミュニケーション」と「プレゼンテーション」
さまざまなイベントも、webサイトオペレーションもこれが大事
そしてこのキーワードが大航海時代を乗り越えていくための重要な技でもあるのです
なんでも勉強になるおとくな文化情報学部

本日午後、とある産学連携企画の関係で上京をまわる
実は、歴史家にとって必要な重要な要素のひとつもこれなのですが
その話やあの話はまた別の機会に

2005年6月22日 (水)

山名宗全

山名宗全
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時を駆ける少女

鳩山先生の特別講義を前にして
オペレーションリサーチの専門家としての鳩山先生について
いろいろ質問をしてみたいと勉強会をしている学生君達がいる
その中でまとめ役をしているTさんは
コンビニのバイトで高校生をかるくいなしているいつもの調子が
ついMKでもでてしまって、みんなからアネゴと呼ばれて困っている
学生プロジェクトの会議では仕切りだけでなく
饒舌ではないのに、必要なことは全て網羅しているという
プロ顔負けの記録もつけている
・・・驚きである・・・
昨日はM先生に教えてもらった鳩山先生のレポートの輪読会をしていた様子
・・・頼もしい・・・
大学広報が発行しているONE PURPOSEの2ページ分の編集を
まかされた学生君達がいる
その中でまとめ役をしているNさんは
最初、なにをしたらいいのか全くわからないと言っていた
鋤柄が関係したこれまでの作品をみせて必要な準備を1時間ほどした
翌日、編集部のメンバーと、レイアウト案とライターの手配をして
なんともう、ロケも始めていた
・・・まいった・・・
学部主催のおつかれパーティーのイベント企画を
任されている学生君達がいる
その中でまとめ役をしているKさんは
従来の枠にとらわれないさまざまなアイデアを提案してくれる
パートナーのKくんと一緒に圧倒されてついていっている
自ら次々と仕事をこなし
リアクションも冷静に判断して、必要な対応策を提案してくる
・・・ひたすら頭が下がる・・・
学生による学部紹介のwebサイトオペレーションを
リードしてくれている学生君達がたくさんいる
その中で今日はAさんとTさんが
トップページについて試行錯誤をしていた
質問に来た
「このやり方がわからないですが」とHTMLの本を持っている
「やー、こまったなあ、○○のソフトを使って作っているから・」
「わかりました、考えてやってみます」と二人
10分後
「できました」と二人
・・・なんと・・・
発動するだけでなく、ちゃんと形にしていっている
彼女たちのような世代が新しい時代を作っていくのだろう
期待・期待・期待

2005年6月20日 (月)

天王山

しかし桂・宇治・木津川の合流点は、山崎より東へ遡った淀である。奈良時代の淀の役割はよくわからないが、水上交通の要衝としての条件は淀が優っている。ちなみに奈良時代の官道との関係で言えば、京田辺キャンパスの東を北進した山陰道は、大住で山陽道と分かれる。その先の正確な経路はわからないが、大住からの軸をそのままのばせば、木津川の旧河道の左岸に沿って進み、淀の脇で淀川を渡り、そのまま向日丘陵を登っていった可能性がある。
ゆえ、奈良時代の山崎は、陸上交通の要衝ではあったが、水上交通についてはどうだったのだろうか。
ちなみに、木津川左岸の古代の官道は、古(奈良時代の)山陰道と呼ばれている。山陽道は大住以北である。山陽より山陰が重視されたのだろうか。記紀によれば、継体を招聘する前に丹波の王に依頼をかけている。弥生時代終わり頃、丹波(丹後)に大きな政治勢力が存在したことは、いくつかの遺跡が示している。三河の祖は丹波(丹後)にあった。大和の政権にとって、(おそらく国際性に秀でた)山陰はきわめて重要な地域だったと言える。ゆえ、継体の乙訓宮は、まさにこの山陰道をおさえた場所にあっただろう。
平安時代に入ると状況が変わる。弘仁4年(813)、嵯峨天皇が遊猟の際に行宮として河陽宮を山崎に設ける。これは言うまでもなく嵯峨の田口に対するこだわりではないだろうか。このころから、山崎に淀川交通を活かす役割が加わっていったように思う。貞観元年(859)から翌年にかけて、行教が山崎の対岸に宇佐八幡宮を勧請する。石清水八幡宮である。背後には藤原良房が関わっていたと言われる。宇佐八幡を勧請する地として石清水が選ばれたのは、北の鴨に対する地勢的な面もあっただろうが、紀氏を出自とする行教の役回りを深読みすれば、やはりこの地が三川合流の場所であったことを強く意識せざるをえない。実際、宇佐の地の旧地形を復原すれば、内湾形の湊がすぐ東に位置することに気づく。
 貞観3年(861)、河陽宮は山城国府に変わる。12世紀に成立した信貴山縁起絵巻に「山崎の長者」が登場する。また鎌倉時代には後鳥羽上皇の離宮である水無瀬殿が築かれる。そして大山崎の油神人が活躍する。山崎が陸上交通の要衝であり、さらに水上交通にとっても多方面から注目されるのは、淀川沿岸の勢力を背景にもつ嵯峨天皇のこだわりと、それを有効に機能させた藤原良房による石清水勧請が大きな意味をもっていたように思う。さらに石清水についてみれば、唯一門前ができそうな東の麓も、木津川を本流とする小河川が複雑に流れ、安定した集落の形成を妨げていた。その結果、石清水神人は、山崎以外にも、淀で魚市の専売権を有したり運送に従事し、活動をおこなっていたという。その意味で、淀と山崎は石清水の門前だったと言えるようにも思う。それではなぜ大山崎の神人は油を商売とできて、大きく成長したのか。締め木があるので、職人として、技術者としてのバックボーンがあったのだろうか。石清水・淀・山崎そして神人と職人。検討すべき課題がひろがった。

河陽国府跡
[GPS情報URL]
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天王山
[GPS情報URL]
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いつものセリフ

大学院を出て、大阪でたくさんの発掘調査をおこなった
大学時代は、主に京都市内の平安時代から江戸時代の遺跡を掘り
旧石器時代の石を採った場所の近くや、縄文時代の海岸や墓や
古墳や古墳時代の家や窯跡も掘った
弥生時代の田んぼも少し掘った
けっこうたくさんの経験を積んで大阪へ行った
その経験(技術とコンセプト)は大阪のどんな遺跡でも役に立った
けれども大阪時代の遺跡調査の規模(勢い)は違った
阪神タイガースが優勝した年で暑い夏だった
大阪の松原市と美原町と堺市と大阪市で1年中発掘をした
郡衙?、新羅土器、河内鋳物師、縄文のむら、大名屋敷
たくさんの発見をした 何回も展示会をして説明会もした
けれどもすべての発見を伝えることができなかった
なんとかしなければと思った

森先生が「遺跡」と「地域」についての重要性を説いていた
1990年頃から、大阪府南部の遺跡について疑問を感じていた
遺跡という抽象的な言葉では、歴史を語ることが難しいことに気づいた
1995年から同志社の考古学の授業を始めた
近鉄京都線の急行の停車駅に興味がわいた

手に入る資料の説明をする歴史研究ではなく
手に入らない資料を合理的に検討する歴史研究に興味をもった

今日は、整理室の遠足
京都駅に集合して山崎の資料館へ
資料館の福島さんの熱心な説明を聞いて思わず山崎城へ
離宮八幡から宝積寺を経て天王山へ
途中見事な京都盆地の展望がひろがる
山頂では山崎城の痕跡を探す
帰りに土塁と平坦面らしき痕跡を見つける

大汗をかいて観音寺を下ると、近世の西国街道
はて、しかし、この街道は何時できて何時機能したのか
奈良時代からの重複する歴史が濃密に漂う
さて、今日見た歴史はどうなっているのか
歩いてみると、考古学も文献史学も越えた
わからないことと、わかりそうなことが、たくさんわかる

2005年6月19日 (日)

三川合流

嵯峨天皇の皇后に壇林皇后と呼ばれた、橘嘉智子がいる。天皇が亡くなったあと、現在の野々宮から天竜寺におよぶ一帯に、壇林寺という寺を営んだと言うが、現在その面影はほとんどない。彼女の父は橘清友という橘諸兄の孫で、母は枚方にあった田口氏の娘と伝えられる。諸兄は光明皇后の異父兄で、栗隈王の子孫を称する美努王の子。藤原仲麻呂との勢力争いに敗れるが、聖武天皇のもとで左大臣として政界を主導した人物。本拠の伝承地は、木津川を挟んだ京田辺キャンパスの対岸の井手町にある。なお栗隈王は現在の城陽を中心とした一帯との関係が知られている。南山城にゆかりある人物と言える。清友は、この井手町で一時の勢力を失った橘氏を維持していたと思われる。
田口氏は大和国高市郡田口を出自とするとも言われ、その後現在の枚方に本拠を移す。その理由はわからないが、7世紀を中心とする時期に、大和の多くの氏族が競って南山城の各地に移動しているので、その一環であろうか。当時清友と田口との間には巨椋池があった。清友は巨椋池の東岸をおさえ、田口氏はその西をおさえる位置にあった。当然接触はあっただろう。橘嘉智子は、そんな巨椋池の覇者達が生んだ人物であった。嵯峨天皇は巨椋池の覇者を親戚にもっていたことになる。
よく知られているように、嵯峨天皇の父である桓武天皇もまた巨椋池に縁がある。正確に言うと、巨椋池の西側地域である。彼の母は渡来系の高野新笠で、枚方にあった百済王(くだらのこにきし)氏を自らの外戚として優遇した。彼は巨椋池を取り込むかたちで長岡京をつくった。嵯峨天皇が枚方にあった田口の娘と出会うのになんの不思議も無い。
平安京を開き、平安京を固めた親子は、共に巨椋池の西地区に大きなこだわりがあったと言える。
山崎は、古代以来、交通の要衝であったと、人は言う。
行基は神亀2年(725)に橋を架けたとされ、天平3年(731)には、その管理のために四十九院のひとつとして山崎院をおいたと言われる。また延暦3年(784)には長岡京造営にともなって架橋工事が行われたとも伝わる。桂・宇治・木津川が合流して淀川となる地点であり、かつ山陽道が隣接する水陸交通の要衝であるゆえと説明されている。


山崎橋[GPS情報URL]
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宝積寺
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2005年6月18日 (土)

創造が形になる瞬間

「一週間が早すぎます」と、O阪から通っているAさん
今週は学生プロジェクトチームにとって一区切りの日々となった
Tさん作成による学部の「おつかれパーティー」のポスターができた
それをみんなに配るKKテガキーズ作成のビラができた
鳩山先生の特別講義企画も、Tさんの頑張りで一応の見通しが
Aさんのポスター製作も順調
オープンキャンパスに向けたビデオ制作も走り出した
NさんT2さんUくんKくんたちのONE PURPOSE編集局はレイアウトイメージをつくった
Tシャツ隊もデザインを固めつつある
なにより、みんなで考えた学部の広報パンフレットとwebサイトがたちあがった
http://www.cis.doshisha.ac.jp/bjproject/
http://www.geocities.jp/sukigara_toshio/pic/2005/panf/panf01.jpg
http://www.geocities.jp/sukigara_toshio/pic/2005/panf/panf03.jpg
http://www.geocities.jp/sukigara_toshio/pic/2005/panf/panf02.jpg
しかし、公開早々からさっそく手直しが始まっている
コンテンツを整理し直して
見え方を工夫して、と
色々な意見が飛び交い、創造が形になっていく瞬間がここにある
大学は授業が大事
けれども大学生活は授業だけではもったいない
「一週間が早すぎて、4年間じゃ足りないっすよ」とTくん
梅雨入り宣言が出たはずなのに、このところ晴れ続き
気がつけば来週はもう7月!!
祇園祭やら試験やらで、京都の暑い夏がいよいよ始まろうとしている
えらいこっちゃ

2005年6月11日 (土)

KEN~帰りたくない若者たち~

文化情報学部の1期生は北海道から沖縄まで、学部は小さいけれどほんとうに全国各地から集まってきているという。ほぼ毎日顔を合わせているのが(群馬)・埼玉・千葉・神奈川・静岡・長野・岐阜・愛知・奈良・和歌山・京都・大阪・兵庫・高知・山口・福岡・熊本などなど言葉も食文化も生活習慣も違った人間の集まり。それこそ分布図をつくってみたらどうかと思うのだけれど。その分だけ、各地の特色をもった愉快なキャラクターの学生くんたちが夢告館の毎日をつくっている。だから当然最初はぎごちなさが先にたつ。しかしそんな夢告館も二ヶ月が過ぎた頃から、なんとなく、まとまりと言うか調和というか、均整感のあるカオスというか、のようなものの雰囲気が感じられるようになってきた気がする。
サークルに入っている人は、演奏会や発表会のイベントが近づき、あるいは日々の練習にも慣れてきて、サークルに入っていない人もなんらかの形で大学生活のペースをつかんできて、みんな、結構はじけているけれども、しっかりしていてしなやかな強さのあるやさしさをもっている。これが同志社的なんだろうかと思いつつ、ここにもまた同志社のひとつの柱が定着しつつあるのかなあと感じる今日この頃。
金曜日が定例になるのかどうかわからないが、501で学生プロジェクトチームの会合が開かれる。議題は7月と10月のイベントとwebサイトについて。議長は例によって桃山御陵のTさん。Aっくんのちゃちゃいれを軽くいなすので、18歳だがアネゴと呼ばれて困っている。鳩山先生の広報担当はKさんとKくんが中心のテガキーズだと言う。まさに文化情報的で良い。ポスター製作はこれまでAさん(Aっくんではない)がプロ顔負けの作品をつくってきてくれたが、これに鋤柄と誕生日が同じTさんが加わり、デザイナーチームが増強される。webサイトチームは、来週ぜったいトップページをアップするぞ、とページデザインを決める。Tくんがプラズマで説明してUくんもKくんも全員一致できまったデザインが来週アップされることに(中身は再来週)。
鳩山先生の講義についての案内コンテンツ製作についてもだいたい決まったところで19時、さて帰ろうかと言っているところに、KEN登場。このところよく514でみかけるシャイで○○なハンサムボーイ。本人は謙遜しているが、なかなかスマートななにわのセンスある会話を披露してくれる。そのままなんとなく勢いで新田辺に出る。勢いでNさんがONE PURPOSEの編集を請ける。どこかでAっくんの誕生祝パーティーをしているらしい。KENは今日も帰りたくないらしい。文化情報学部開設二ヶ月と10日、こんな元気な若者たちの熱意に応えるために、さあ、次はなにを考えようか。
<静かな同志社ローム館のマルチメディアコーナーにて>

2005年6月10日 (金)

ライブ中継

昨日の夜、今出川で偶然IくんとMさんと出会って、Mさんが秀吉について悩んでいることがあると言うので、思わずイケメンカフェへ。
見かけに惑わされずに本質を見抜いた議論をするためにはどうしたらいいか考える話をしたつもりで、帰ったらTさんから驚くほど的確なプロジェクトチームの報告が来ていたので、すっかり嬉しくなって掲示板に書き込みをしていたら、今日は上京区でまた別のあるプロジェクトのうちあわせ。2時間ほど新しい文化遺産の活用について意見を交換する。
お昼はイケメンでと考えていたが、時間が無くなってM先生の事務所へ。しっかり新しい刺激をもらって14:02の京阪特急で四条を出る。高島屋で買ったおこわを食べたら思わずうとうと。よくマシンをおとさなかったものだと思いながらGPSで場所を確かめると千林。天満橋でおりると3時10分前。地下鉄に乗るべきかどうか迷いながら地図を見て、Mさんに電話を入れて結局京橋口から登城。おもえば京橋口から入るのは初めて。結局極楽橋かと思いながら一汗かいて会議室へ。
中ではKさんとMの人たちが待っており、これからのイベントについて調整をおこなう。徐々に大阪モードに変換しテンションが高まる。次は日本橋のS。16時前、馬場町の交差点から府庁の新別館の横を通って、谷3から地下へ降りる。1991年から1999年まで、ここで過ごした日々がフラッシュバック。階段を降りかけると地下鉄の滑り込んでくる姿が見える。都会やなあと思いながら谷九で乗り換える。
日本橋のSでの時間は約5分。時間があればM先生に教わった串カツ屋とか洋食屋とかおでん屋とか行きたい時間なのに、振り切って中津へ向かう。中津のLとアポにしていたのは17時だったが15分おくれで到着。さっそく編集に入る。優秀なデザイナーのおかげで手際よく仕事が進んで。20時過ぎには終了。ずっと都市遺跡を掘ってきたからだろうか、田舎者なのに、ビルの間を駆け回る感覚が結構嫌いではない。

2005年6月 7日 (火)

実演

今出川キャンパスの整備計画に伴う発掘調査は
この3月でいったん大きな区切りを迎えましたが
その結果出土した大量の遺物(主に土器と陶磁器)の整理は今年度一杯続いておこなわれています
場所は国際中・高の敷地に隣接したプレハブの中
最近はそうでもないが、一時は発掘調査と言えば
マスコミで脚光をあびる華やかな一面がありました
しかしどの分野でもそうですが
その背景には地味で地道な作業がたくさんあって
今年度おこなわれているのもそういった地味で地道な作業
けれどもそういった地味で地道な作業があって初めて正当な遺跡の解釈が可能になるので
関わっている人たちは、ぜひ
あせらずくさらずあきらめずの3ずでがんばってほしいと思います
(あれ、どこかで書いたようなフレーズ)
そんな地道な作業とはなにかというと
1、発掘して出てきた土器をきれいに洗う
2、どこから出てきたかを細い筆で土器に書く
3、破片をセメダインでくっつける
4、土器や陶磁器の絵を描く(図面をつくる=実測)
5、欠けているところを石膏などで復元する
6、写真を撮る
これが遺物の基本整理と呼ばれるもので
これをもとに、どの遺物が何時の時代のどこのものか調べ
それのみつかった遺構の時期や意味を考え
その結果としての遺跡の解釈をおこなう
これが発掘調査の結果を歴史叙述するための段取りになります
現在、整理室でおこなっているのは3と4と6
このうち最もしんどいのが4
今も昔もおんなじで皆苦しむ作業
一定の手順とルールにしたがって遺物を図面にする
その遺物の時代や産地などがその図面から推測されることになっています
これは、これまでの考古学の勉強で最も基本とされた作業で
ある意味では、これからの歴史遺産活用にとっても最も基本とされる
作業であることに変わりはありません
そんな重要な作業であるにも関わらず
このところしばらく長いこと学生君たちのサポートをしてきていなかったので
昨日は久しぶりに自らその実演をしながら解説をおこないました
遺物でも遺構でも同じですが
実測の方法ではなく、実測することの意味について
モノ資料から歴史情報を抽出するための考え方について
実演しながら久しぶりに話をすることができてとても充実した時間がもてました
実測の方法はこれからどんどん変わっていきます
けれども歴史学が資料や史料に基づいて人間とその社会を復原解釈する学問であり続ける限り
その本質は今後も永遠に変わることは無いでしょう
なまの資料や史料をしっかり見てさわって
それに関わった人間の意志を、そこから読み解くことのできる能力は、歴史を学び活かす者の必須の条件なのです
いま整理室でおこなわれている実測という作業は、そのためのとても重要な勉強のひとつなのです
だから、モノにたくさん触って、いろいろなことを考えながら
「どうしてこんな形なんだろう」「この色はあの色とどう違うのだろう」「この模様にはどんな意味があるのだろう」
自分たちはモノ(資料や史料)に対しているんじゃないんだ
そのモノに関わった人間と対話しているんだと
少しずつで良いです。急がなく良いですから
そういったモノの見方と考え方、遺跡の見方と考え方に関心をもってほしいと思います
デジタルはその次にしっかりとんがってやりますから

2005年6月 5日 (日)

芸達者

昨日は、学内高校の訪問に対する学部説明会
来校者数は330
学部説明の段取りは
シナリオは、KD201で全体説明の後、7グループに分かれて
夢告館の1階と4階と研究室、同志社ローム記念館と情報メディア棟の案内、そしてMK101で情報取得機器のプレゼン
学生プロジェクトチームの各担当は、2週間前からちょっとずつ準備
各自、ちょっと不安とちょっとワクワク感
当日は9時半に集合のところすでに9時に8人くらい来ている
すぐに手分けしてプラズマディスプレイを4階から降ろして
MK101のセッティングに入る
出し物は電子平板、接触型3Dスキャナ、蛍光X線分析装置、高精細スキャナ、3Dレーザー計測機、アイカメラ
9時40分くらいに、引率グループがKD201へ出発
9時45分、MK101でプラズマを全部つけたところでブレーカーがダウン
10時、回線を確認して延長コードを持ってきて再開
10時半を待たずに最初のグループがKD201から到着
てんやわんやの中を無事12時半くらいに終了
関係スタッフのみなさんお疲れ様でした
終わってみてあらためて思ったのは
プロジェクトチームのみんなが芸達者たちだったこと
本番に強いというかなんというか
引率チームも機器説明チームもわずかな練習とは思えない
説得力のある慣れた説明で高校生をリード
椅子の上に登って説明をするTさん
330人の間をインタビューに走り回るTさんとKくん
全体の流れを冷静に判断するKさん
10年前から機器をあつかっていたように説明する
NくんやKさんやとにかくみんな
ポスターもできたし
25日の2回目の学部説明会はどんな芸がみられるやら
一層楽しみな予感です

2005年6月 4日 (土)

祇園遺跡第13次調査

4日は神戸市の祇園遺跡の現地説明会
祇園遺跡は、清盛の福原に関係する有名な遺跡で
有馬街道の拡幅に伴う第2次調査ではみごとな池がみつかり
大量の京都に関係する土器も出土している
今回はその第13回目の調査で、場所は第2次調査の場所から
条里線沿いに旧道を東へ約100mいったあたり
細長いトレンチ調査だが、平安時代の生活面と土坑または柱穴、そして
池と思われる落ち込みの一部がみごとにみつかる
一昨年の楠・荒田町遺跡の調査以来気にかかっていたことがひとつ
清盛の福原の屋敷群がこのあたりにあったことはともかく
祇園社のふもとから荒田神社までの斜面地形の上に
どのようなかたちで家並みがつくられたのか
そして、肝心の地区割はどうだったのか
今回の調査はその疑問を少し解いてくれる可能性がある
まず斜面地形については
今回の調査地の平安時代面が現在の地表面から2m近い深さにあることがわかった
それは今回の調査で明治7年や昭和13年にこのあたりが大きく盛土造成されたことによるものであることが実際に確認されたためで
そのため、現在の条里地割り線と、調査地点の地表面の間が、現在2mを越える段差になっており、果たして平安時代の屋敷がどうだったのか想像できなかったのであるが
平安時代のこの場所は、それほど大きな傾斜はなかったことが考えられ、その結果、この地に1町規模の邸宅が築かれるのも、ありうることだということがわかった
すでに高橋昌明先生が言っているが、六波羅も斜面地である。あるいは、その程度の地形だったのであろうか
次ぎに基準となる地割りについてであるが
平安時代の生活面を覆う形で江戸時代に遡る畠の畝がみつかっている
その軸を復原すると条里線と直交している形であり
この規範が江戸時代以前に遡ることを示している
もし清盛の時代の館が別の規範によって築かれていたら
この規範は鎌倉時代以降につくられたことになるが
この場所の東には、おそらく室町時代と思われる「安濃城」と呼ばれる字とそれを囲む別の規範が、この軸を切って存在してるため
この基準軸は限りなく清盛の時代に近づく可能性が高いと考えられることになる
なお、出土遺物に室町時代の資料もみられたため、それは隣接地域との関係を物語る可能性もある
ところで今回も調査でも出土しているが、祇園遺跡は弥生時代の村があったことも知られているそうで、清盛の直前の時代の遺物もみられるように
、この場所が清盛以前からもこの地域をおさえるうえで非常に適した場所だったということもあらためて実感することができた
遺跡を見ると言うことは、一筋縄ではいかない歴史を見る上で
これ以上ない勉強法である

帰りに芦屋のamarenaでケーキを買う

[GPS情報URL]
http://walk.eznavi.jp/map/?datum=0&unit=0&lat=+34.41.31.26&lon=+135.10.04.02&fm=0

2005年6月 3日 (金)

楠・荒田町遺跡

http://www.geocities.jp/sukigara_toshio/labo/jps/hyogo/minatogawa.htm

[GPS情報URL]
http://walk.eznavi.jp/map/?datum=0&unit=0&lat=+34.41.07.53&lon=+135.10.11.95&fm=0

パソコンは友達

文化情報学部の大きな特徴のひとつが、これからの時代と社会に最も必要となる偏りのない情報分析能力開発であることはこれまで何度も言ってきたところです
その点でやはり避けて通れないのがその能力を最大限まで発揮させてくれるツールとのつきあい
一般的な言い方でいうところのパソコンがそれにあたります
文化情報学部の学生君たちの現在は、そんなパソコンとのおつきあいをはじめたところ
なかにはもうずいぶん前からおつきあいをしていた人もいるけれど
今回はじめてパソコンと挨拶をかわす人も
今日はそんなパソコンとのおつきあいをはじめようとするBさんとの充実した時間について
4月以来、全体に向けたイベントの企画ばかりしていて、ひとりひとりへのサポートが不足していたことをずっと感じていて
そろそろ限界に近づいていたので良いタイミングでした
文化情報学部の中で考古学と歴史情報系を志すときに
知っていてもらいたいパソコンの使い方
そんな大げさなことではないけれど
これまで自分が使ってきて一番便利だと思うパソコンやツールの使い方について
これまでも断片的には整理室の学生くんたちに言ってきたかもしれないけれど
あらためてまとめて伝える機会がなかったのでとても気にかかっていたことでした
パソコンというより主にサイト情報とのつきあい方になりますが
データのダウンロード、解凍、エディター、キャプチャ、画像ソフト
データ形式の違いとその具体的な使い方の事例
国土地理院のサイトとデジタルマップの閲覧
デジタルマップの閲覧と言えば
静岡の町が3つの軸線の交錯の上にあることを初めて知りましたが、これはまた別の機会に
パソコンの仕組みやプログラミングの基礎など勉強しなければならないこともたくさん他にあるけれど
パソコンとインターネットを活用してできるわくわくするような世界を楽しみながら
がんばってほしいと思います
それじゃ
また明日

2005年6月 2日 (木)

祇園遺跡第2次調査

[GPS情報URL]
http://walk.eznavi.jp/map/?datum=0&unit=0&lat=+34.41.28.85&lon=+135.10.02.64&fm=0

2005年6月 1日 (水)

プレコロキアム

文理融合という従来の枠組みとらわれない研究と
その学びによる広い視野をもった人材育成をめざす
文化情報学部ですが
その分初めての試みも多いので
試行錯誤も一緒に付いてきています
そんな中
文化情報学部を象徴する異文化教員の
コラボレーションを促進し
かつ
学生君達にできるだけ早く文化情報学部の
面白さを知ってもらいたいと考え
5月の最初からプレコロキアムと名付けた
勉強会をやっています
毎週火曜日か水曜日の16時45分から
1回あたり3人の先生が
ひとり15分の持ち時間を使って
自分の研究やこれからの学びの目標を語ってくれています
これまで4回おこない
12人の先生がたが話をされました
自由参加ですが、学生は大体半数くらい
先生方は8割くらいの参加率です
毎回楽しい話題が提供されていますが
今日はS定先生による、複数の利害関係の変化をシミュレーションする数式の話と、Y先生の文献資料の系譜を復元する話と、S本先生のバーチャルリアリティの話
いずれの先生もこれまでの分野では理系にあたるが
いずれの話も歴史復原や古代から中世の都市の成立や変遷を説明するときに求めていた研究
あらためて文化情報学の有効性を実感
今日はそれに続いて鳩山客員教授の講義に向けての準備の打ち合わせをおこなう
いつもより雰囲気が熱い
今日のお昼にKさんが来て言っていた
「文化情報って絶対面白いですよ もっとたくさんの人にしらせたいです」と
楽しみがまたひとつ

平野勝地

清盛は福原の平野に館をおいたとされる
その福原の交差点を見ると
不思議な空閑地に気づく
この空閑地は
かつての条里線がここをかすめていた名残

[GPS情報URL]
http://walk.eznavi.jp/map/?datum=0&unit=0&lat=+34.41.26.98&lon=+135.10.03.53&fm=0

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