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2005年7月12日 (火)

蟷螂山町

例によって最初のアプローチは平凡社の歴史地名大系
蟷螂山町は、西洞院をはさんだ両側町で、北は錦小路、南は四条通り
応仁の乱前に記された「祇園社記」の中の「祇園会山ほこの次第」には、「一、かまきり山 四条西洞院錦小路間」と登場また、同じ「祇園社記」に収められている「材木屋在所」によれば、材木屋を営む次郎という人物がいたこともわかる
この町の名称は、寛永18年以前平安城町並図以降記録をみると、「外良ノ町」という表記がある。その由来は、元の官人だった礼部員陳外郎氏の子孫がこの町におり、薬屋をいとなみ「透頂香」を売り出したことによるという
なお、江戸時代には、この町の西に筑前久留米有馬氏の藩邸が、東に肥前平戸松浦氏の藩邸があった。

蟷螂山は祇園会山鉾のひとつでで、かつては6月7日におこなわれた前の祭りに巡行したという。
起源は先の記録により応仁の乱をさかのぼることがわかり、明応9年(1500)に巡行が復興された時には、「錦小路西洞院と四条の間也」として「三番、いほしり山」の記載がみられる。
その後、安政4年(1857)に故障の記録があり、元治元年(1864)の大火で焼亡。昭和55年に復旧して現在にいたっている。
宝暦7年の「祇園会細記」によれば、その姿は「蟷螂が斧をもって降車に向かうがごとしの古事也。蟷螂作知らず。胎内に一物あり、神体と言う。是を知るものなし」とある。現在みることのできる、御所車の屋根に緑の大蟷螂がかぶさり、羽をばたばた動かすからくりの姿がそこにある。
ちなみに同書による江戸時代の意匠は
蟷螂(萌葱色にて張屋台の上にのせ、手羽車屋台の内より使う)
屋台(花色錦 桐に鳳凰の模様。四方に小簾(すだれ)。簾の縁は紅羅紗。葵楓(あおいかつら)と総角(あげまき)がつく。前簾の上には花色の数珠で雲に雲に鶴の刺繍がある。簾の巻き上の下には紺のびろうど。竜立脇金糸の唐縫い。その上に几帳のような真紅の飾りがある)
轅(ながえ)は茶色の朝鮮錦にて貼る。けまん真紅の綱などがある。
出し詣(白ねり)
車(黒数珠。えよう白数珠。矢櫂黒塗金もの)
山之縁(浪に千鳥金鍍金彫り透かし)
水引(織物模様夕顔)
幔幕(五色羅紗)
見送(地紺びろうど虎渓の図。人形鹿から松土橋などあり。唐縫紅羅紗金糸竜の縫)
なお同書によれば
「六日午の刻初めて引く(余町は五日に引き初め)妙典寺町を綾小路まで引、双方礼あり。当町には有馬氏の別館があるにつけい、この者に釘抜きの紋を付ける」という古例がひかれている

[GPS情報URL]
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