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2005年8月22日 (月)

大原への道「若狭街道」

若狭湾の中央に、ちょうど伊勢湾の知多半島と渥美半島をさかさにしたような半島がある。西が大島半島で、その先端に有名な大飯原子力発電所がある。東は内外海半島と呼ばれ、先端に近い外海側に奇岩で有名な蘇洞門(そとも=この名称は、かつて日本海側が対外交流の正面だったことをしめすと言われる)がある。この蟹のはさみのような半島に囲まれたその内海は、絵に描いたような良港である。若狭を代表する港町、小浜はこんな環境にある。
古代以来、この小浜から京へ多くの産物や情報が京に運ばれてきた。
多くの産物や情報は、この小浜から北川沿いに滋賀県境の山へ向かう。一般に県境は峠におかれる場合が多いが、北川は若狭から最も深く内陸に入っている川のため、琵琶湖に注ぐ石田川との間を区切る水坂峠を越えるのは、すっかり滋賀県側に入った後になっている。そのまま道を下れば、鴨稲荷山古墳に象徴される湖北の一大拠点の今津町から高島町へつづく平地。水の道を選べば、京へはここから琵琶湖を一気に南下する。
一方水坂峠を下りてぶつかる石田川は、途中で二つに分かれさらに南にその支流をのばす。この支流をさかのぼると、檜峠という低い峠を越え、南へむかう別の川に出会う。これが北近江を代表する安曇川の上流であり、さらに上流をさかのぼると葛川となる比良山塊麓の水道である。比良山の東の渓谷をほぼ一直線に南下するこの道は、足利義晴や義輝が京の戦乱を逃れた朽木氏の朽木谷としても有名で、多くの歴史遺産が残されている。近世の「若狭街道」である。ちなみに「鯖街道」は小浜から根来峠を通って鞍馬へ出る道。
実は、大原はこの道を南下して、花折峠で葛川と別れて、途中峠で近江と別れ、京に入った最初の集落である。言い方を換えると、若狭から京へ入る重要ルートの入り口にあたっていたことになる。
ただし朽木には奈良時代の杣の記録もあるというから、このルートの中核は、本来は安曇川に沿ったネットワークが中心で、あくまで琵琶湖に向いていたものと思う。
平安時代から鎌倉時代は洛外の遁世の地。室町時代以降は京と日本海をつなぐ道の京側の玄関口か。

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