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2005年9月22日 (木)

武衛と二条城

京都という街は、ただ歩いているだけでも歴史を実感することができるすごい街である
午前中に上京区でふたつの打ち合わせをおこなって後
丸太町のとある現場を見学して、印刷屋さんに寄って今出川にもどる
ふと思いついて室町を歩くことにする
昨日のデータ整理で気になった斯波氏の武衛の位置を確かめたかったことがひとつの理由
竹屋町室町から北へむかうとすぐ丸太町通り。手前の西に書家望月玉泉の石碑がある

[GPS情報URL]
http://walk.eznavi.jp/map/?datum=0&unit=0&lat=+35.01.01.75&lon=+135.45.28.74&fm=0

そのまま道を渡りたかったが信号と横断歩道があるのはその一筋西の衣棚町通
平安時代は重要な道だったのに、今残っているのは秀吉の京都改造か、と思うのは歴史オタクだけか
一筋北へ上がると 東に京都御苑の入り口が見える
通り名がわからないので烏丸まで出る。きょろきょろとまわりを見回し、
通りの東をみると「椹木町通」の標識が目に入る。
おおこれがあの有名な「武衛」の南限の通りかと感動

烏丸ではなく、室町にこの標識がほしいなあと思いながらもどって北へ
平安女学院が近づき、右手の駐輪場のフェンスの一角に「武衛」の石碑をみつける
あわせて、足利義輝邸の文字も
[GPS情報URL]
http://walk.eznavi.jp/map/?datum=0&unit=0&lat=+35.01.08.73&lon=+135.45.28.69&fm=0

平安女学院の横を通り下立売通に出る
たしかこのあたりが信長の二条城ではと思っていたら、室町下立売の南西角に石碑をみつける
[GPS情報URL]
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信長の二条城は、彼が室町最後の将軍の義昭のためにつくった館
管領斯波義将の邸宅であった武衛の陣の跡をリフォームした義輝の館が、永禄8年(1565)に焼けてのち
信長が同じ場所に新築したと言う
フロイスの日本史には2・3年かかるものを70日でつくったと驚きが書いてある。永禄12年のことであった。
堀は二重で、烏丸線の工事でその一部(石垣)がみつかっているからその東は烏丸までひろがっていたことになる。さらに南北は出水から丸太町まであったことも、その堀でわかった。南北約300m。府庁の本館の北面から丸太町通りまでの距離である。ほぼ現在の(徳川の)二条城の南北と同じ。
大きい。
石垣の裏ごめに、たくさんの石塔などが使われたというから、周辺の墓地が取り壊されたのだろう。
信長である。
その後、よく知られているように義昭は信長と不和になって、天正元年(1573)に信長に挑むが負けてに京都を出る。
天正5年、信長はここに入る。夢にまで見た京都だった。
しかし7年には改築して正親町天皇の皇子に献上し、ここは二条新御所と呼ばれるようになる。
とはいえ天正10年の本能寺の変では、信長の長男の信忠がここで自刃して、ここが焼けているので、まったく信長と縁が切れたものではなかったようである。
二条城と言えば、徳川の二条城のことばかりだが、実はこの二条城の方が歴史のダイナミズムを感じさせるモニュメントである

実は、信長の二条城がなぜここなのか、本を読んで字面ではわかっていたが
なるほどその前代の義輝の館と重なっていたんだ、と歩いて歴史を実感することができた
ちなみに、この石碑の場所は、二条城のちょうど中心地である

さらに北上する
出水をすぎると近衛町に入る
新町キャンパスはその別邸なので、近衛家には近親感がある。目印は和気清麻呂とイノシシの護王神社
さらにその北西は鷹司邸

清和院町に入る。東は京都ガーデンパレスホテルで、その東が蛤御門である
土御門烏丸殿跡で、発掘もおこなわれている

[GPS情報URL]
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上京中学を越えると室町通りが東へずれている。ここが一条大路である
平安時代は、ここから南が京内、ここから北は田舎だった
だからここから北の室町通りは、平安京の室町大路とはちがうことになる
それで通りの軸がずれているのかとおもったが、今出川から北の室町通りは
再び、西へもどっているので、どうやらそうでもないようである


途中に富岡鉄斎の邸宅跡がある
[GPS情報URL]
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ここから洛中洛外図の世界に入る
一見するだけではあまりよくわからないが、斜行する武者小路通りを覗き込むと
室町時代に迷い込みそうな感じがする
目立たないが福長神社がその角に建つ
[GPS情報URL]
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今日は春学期の成績発表の日、今出川も大混雑
さぞかし京田辺もにぎやかだろう
文情のみんなの様子も気に掛かるが
明日は仙台
たくさん新幹線に乗るので、たくさん仕事ができそうだ

・江戸のモノづくり 文部科学省科学研究費補助金特定領域研究
 第7回 国際シンポジウムin長野
 総括事務局は 国立科学博物館内
 だそうだが(案内が来た)何時どこでなにがあるのかよくわからない案内だった

・小穴芳実「中世末安曇郡における郷町の発達」『信濃』57-9

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