« 狩野元信邸を訪ねる | トップページ | 普通の一日 »

2005年10月25日 (火)

縁日へ行こう(北野の天神さん編)

北野という地名がハイソな雰囲気を創り出すのはなにも神戸だけではない。
上京区の北西にあたる北野白梅町周辺も粋で(本来「粋」という表現は江戸のイメージだろうか)、おしゃれな雰囲気の味わえる町である。
「北野白梅町」とは、今出川通りと西大路通りの交差点の名前だが
そのすぐ東に位置する北野天神に有名な梅林があってそれにちなんだ名前であろうが
こんなところにも京都の「雅」さが見て取れるところに田舎者はすごいと感じてしまう
光ヶ丘とか桜ヶ丘とかはどこにでもあるが
日本国中のどこを探しても、「北野白梅町」という名前を付けられるところは無い
203系統で北野白梅町のバス停を降りると、すぐ西に「北野廃寺跡」の石碑がある。
「そうやった、平安京が出来る前の時代がここにあったんだ。そう言えば嵯峨野の広隆寺の前身寺院はこの北の平野神社の南あたりだと言うが。ということは、ここは平安京ができる前はこの地域の中心地ということか」

北野天神へ向かう。今日は25日で天神さんの縁日。すでにこのあたりからいつもより人が多い
北野橋と書かれた欄干がある紙屋川を渡る。
意識して見てほしいポイントだが、この川の底は、幅対してかなり深い。この景観がいつまで遡るかはわからないが、1592年にはこの川の東手に秀吉のお土居もあったことになる。
おしゃれな和風パスタの店があり、表でおやきを売っている。洛中洛外図に描かれた見世棚の風景を思い浮かべる。
狭い通りを渡ると、角に豆腐で有名なFの店がある。今日は天神さんの縁日ということで、1000円のお楽しみ袋が出ている。買おうか買うまいか3分間迷う。
天神さんの鳥居に着く。大変な人波である。

北野とは、天皇の遊猟地であり、かつ遣唐使の無事を祈念したり、雷神を祀るなどの特別な場でもあった平安京北西の一帯を言う。直接の発展は、菅原道真の霊を鎮めるために北野天満宮が築かれてのちと言われているが、北野廃寺にみられるように、ここは平安京以前の中心地でもあり、鎌倉時代にはその東に「五辻殿」と呼ばれる後鳥羽上皇の御所がおかれ、室町時代には連歌や各種芸能の場として栄える中(「西陣のはなれ」として有名な上七軒の起源は、室町時代に北野天神の改築の余った木材で七軒の休憩所が建てられて事によると言われているが)、天正15年(1587)10月1日に有名な秀吉の北野大茶湯がおこなわれた。

北野がもっている華やかさと雅さは、こんな風流な歴史がその底流にあるからではないだろうか。
なお、千利休・津田宗及・今井宗久という当代一流の茶人を動員しておこなわれた秀吉の北野大茶会とは、全ての茶会プロデューサーを秀吉の管理下におくことを目的としたとも言われているイベントで、境内には800か所以上の茶点所が設けられたと言う。
秀吉にかかわるキーワードとして「天下一」という言葉があるが、秀吉のおこなった全国統一という意識がもっている本質あるいはもうひとつの姿をうかがうエピソードかもしれない。
ちなみに、国宝の北野天神縁起絵巻の研究については、わが同志社大学の竹居先生が代表。

北野天満宮は菅原道真にかかわるエピソードで有名だが、起源は天徳3年(942)にさかのぼり、天神の託宣をうけた多治比奇子が自宅に叢祠を構え祀ったことを機縁として、現在の場所に移ったのは天暦元年(947)で、堂舎は藤原師輔によって天徳3年(959)に整備されたという。
繰り返しになるが、平安京成立以前から平安時代・鎌倉時代・室町時代そして現在まで歴史の息づいている町と言える。

そんな北野天満宮の毎月25日が縁日で、大変なにぎわいをみせる。
今日は観光シーズンのおだやかな一日とあって、平日にもかかわらず
世界中からの観光客ともちろん地元の人もたくさんあつまって、今出川の鳥居の前からたいへんな人だかりである
おなじみの食べ物屋さんにはじまるさまざまな露店が参道にならんでいるが
ここのお楽しみには、それだけではない
参道の一筋東にある上七軒側の通りにも露店が出ているのであるが、ここがアンティークのてんこ盛りなのである
古着・レコード・陶磁器・ガラス・各種飾りものなどなど
ありとあらゆるアンティークのバザールがひろがっている

実は、文化財解析の教材になるものがあればと思って来たのだが
いかにも鎌倉時代の関東の焼き物らしいものがあったり
いかにも・・・・な青銅器があったり
思わず見入ってしまい値段を聞いたものの
駆け引きをする余裕がなかったので結局本日の試合はドローということで終了
関心のないふりをしながらしっかりモノを見るという修練をもっとしないといけない
(買いたいと思ったもので妥当な価格のものがひとつだけあったが、それはまたの機会に)
楽しみにながらモノを見る良い勉強の場である

大学へ戻ろうと、天神の東鳥居までもどって、ゆっくり南へカーブする東の参道を歩いていくと、「今出川七本松」という標識が目に入る。
「そうか鎌倉時代の中心地で有名な五辻通りはもう一筋北だったか」と思って、思わず目を疑う。
「今出川って?え?これが今出川通りの旧道なのか?」
歩くと必ずなにかが見つかる

« 狩野元信邸を訪ねる | トップページ | 普通の一日 »

上京」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 狩野元信邸を訪ねる | トップページ | 普通の一日 »