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2005年11月15日 (火)

将軍上洛

最近、急速に付き合いを深めているのは後醍醐であるが
その前からつきあっているのが義晴である

よく知られているように、戦国期の洛中洛外図はおおむね一条通りを境界にして
左隻と右隻に分け描かれている
もちろん左隻の主人公は義晴であり
右隻の主人公は天皇と町衆である
この天皇と町衆という組み合わせも面白いが
一条通りを境界線としたかった意味も面白い

言うまでもなく一条通りは平安京の京外と京内の境界線である
一条以南は京内
本来天皇と庶民の都市であった平安京に対して
武士の都市は別だという意識だろうか
絵画史料は発注者と絵師の作品である
それぞれの意図を読み取りながらその時代を考える
洛中洛外図のGISである

上京区役所で短いミーティングをした後、現在の風景の撮影で報恩寺から小川を南へ下がる
上立売小川の報恩寺には平安期の梵鐘があると言う(記憶)
今出川から小川を下がっていくと
北から順番に十念寺・極楽寺・誓願寺と続く
行願寺のところがちょうど小川の公園で、その南の路地にかつての小川の橋の欄干が残る(感動)
その南が日本で一番有名な一条の風呂屋(もちろん今は普通の民家)
そこを過ぎれば目の前はもう一条通りで百万遍がこの西にあったはず
一条通りへ出た後、東へ戻りながら西洞院の狭さに驚く
新町をすぎ、室町の北西角にある有名なお味噌やさんを横目で見ながら
虎屋さんのビルをぬけて烏丸に出る
この北にあったのが二度の観音と呼ばれた一条観音堂、南が広橋殿かと思いながら
烏丸を金剛流能楽堂までさがる
諸般の事情により今日の京は緊張状態なので、うろうろしながら写真を撮っていると叱られるかもと思いながら京都御苑の側に渡り中立売御門から北へもどる
烏丸今出川の交差点で西を見て勝智院を思い浮かべたが
つい地下鉄入り口におかれたバリケードに目が行ってしまう
明日は金閣らしい
中世の京都へようこそ

従来からの歴史研究と文化情報学における歴史研究とを考えている
ひとつの説明としては
「史料」と「史料」を組み合わせて「歴史」を叙述する方法と
「史料」と「史料」の間にあったものを、その関係から「仮説史料」として創出して
「史料」と「仮説史料」と「史料」の組み合わせから説明可能な「歴史」を提案する方法があった時
後者の方法が文化情報学的な歴史研究ではないかと思う

上杉本洛中洛外図から義晴か義輝の意図と永徳の意図を抽出して、それぞれの意味と、さらにそれ以外の歴史情報を組み合わせることでシミュレートされる京都の姿が示された時に、それがこれまでの京都の見方とどう関係付けられるのかを提案する

よく思い違いされるが
歴史というのは、全体であって、一部分を切り取ってなにかわかったというようなものではないのである
あくまで、そういうふうに考えられるとするならば、その地域は、その前後の時代は、これまでの説明とどのように整合するのか、しないのか
整合した場合、これまでの説明はどこが問題だったのか
整合しない場合は、そのどこに問題があるのか
「発見」は結果ではなく始まりなのである

クラーク館で赤外線照射の実験をする。成功
思いついてその足で徳照館へやってきたら
文化史のK先生とM先生が1階の事務室にいたのでさっそく撮影した画像を読んでもらう
ただしモニターが小さいのでよく見えない
K先生の時間があったので現場へもどる
生きた教材を前に議論がはずむ

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