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2005年11月19日 (土)

待たれよ

探したよ・・・・1年ぶりに

さすがの自然描写である
加えて町並みの表現も
パレードが行く大通りから入った路地の石段で座り込んでいる人とか

どうも歴史家はドラマチックな事件を描くことに夢中になってしまうきらいがあって
当たり前の様子を当たり前に描くことの難しさを知っているから
宮崎作品で描かれている普通の情景が普通であることにとてもすごさを感じる
これも人間と自然に対する強い愛情の現れなのだろうか

かつてレコードを買うと高名な音楽評論家がライナーノーツに解説文を寄せていて、レコードを聴くと言うことは、それを読むことも合わせての行為だった
映画館で売っている映画のカラーパンフレットを何というか知らないが
「もののけ姫」のそれには網野善彦が解説を加えていた
その意味を知っている人はその「事件」に強い衝撃を受けたが
それだけあの映画は歴史家が見ても色々考えさせられる内容をもっていた
それが何によるものかというと
一言で言うと「細部へのこだわりと全体性との絶妙な調和」ではないかと思う
言い換えるならばミクロ的な分析とマクロ的な分析の共存ということになる

12月2日の歴史情報系プロジェクト授業のガイダンスでは
歴史というものが「シームレスなアナログ情報のかたまり」であるということから始めるつもりだが
そのシームレスなアナログ情報のかたまりというものが
ミクロ的な情報とマクロ的な情報の調和のとれた共存なのである

その説明というものが、これまでの全ての歴史家のめざしてきたことであるが
実際は、ミクロ的なことかマクロ的なことかの
どちらかの説明に偏ってしまうケースが多かった
そして歴史家の得意とする文章表現は
そのあたりをうまくオブラートにする特技をもっていた

去年、薩摩藩邸のCGを作成して、その事がとてもよくわかった
その意味で歴史家はミクロにもマクロにも高い精度の求められる映画に学ぶべき事が多いと思う
ビジュアル表現への積極的な挑戦と言っても良いと思う
中でもそのままでは平板で抽象的になりがちな考古学分野の説明は
意識してそれに努める必要がある

ただし、物語は始まったばかりである
魔法の力はまだ弱い
待たれよ


11月7日から南さつま市となったかつての金峰町のMさんから歴史交流館金峰のサイト案内がとどく
http://www18.ocn.ne.jp/~m-kinpo/index.htm

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