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2005年11月27日 (日)

ロンドンに

EVE期間を利用して行っているつもりだった。今年の初めの計画では。
中世都市を研究テーマのひとつにしているが、日本列島の歴史だけではなく、世界史的な視野でも考えていくつもりなので、とくに京都とロンドンの比較をしたいと思い、準備をすすめている。
25日から29日は大学のEVE期間なので、それを利用して行く予定だったが、日々の生活に追われているうちに時機を逸してしまった。
来年は行かねば。

滋賀県犬上郡の多賀町で敏満寺遺跡のシンポジウムに出るために近鉄に乗ったら、「沿線四季ごよみ」の吊り広告があって、21日の東寺の「終い弘法」やら25日の北野天満宮の「終い天神」やら31日の八坂神社の「をけら詣り」やらが載っていた。えらいこちゃである。
EVE期間と聞いて思い出すのは、北小松学舎(現在のリトリートセンターの前身)で過ごした日々。
埋蔵文化財の調査が組織的におこなわれる以前で、また研究についても、学生でもアプローチできるたくさんの可能性がちらばっていたのどかな時代だった。
信じがたいことだが、森浩一先生が、現在の鋤柄の年頃だった。えらいこちゃである。
EVEというのは、そんな元気な学生にとってまとまった時間のとれる時期だったので、北小松学舎の裏山にあった古墳の調査に熱くなっていた。
現在、埋蔵文化財の調査は組織的におこなわれ、研究もさまざまな分野でとりあえずの成果が示されてきている。
ゆえ、学生があの頃と同じことをする環境ではなくなってきている。しかしそんな中、新しい時代を切り拓く問題意識で活動をはじめている学生くんたちがいることが嬉しい。おおいに期待したい。

しかるに鋤柄も期待するだけではなく、彼ら以上の熱意でそれに応えられるような研究と教育をすすめなければならない。
たとえば同志社大学の考古学が文化情報学部で始めることとしての文化財解析もそのひとつ。いよいよ来年度開講。
あくまで前提は、森先生がすすめてきた歴史研究における総合学としての考古学なので、これまでの森考古学を学ぶことから始める必要があるだろうと考えている
現在の計画は次の通り
1、ガイダンス-文化情報学的な遺跡の見方と考え方-
2、日本歴史に対し、戦後の考古学が果たしてきたもの
3、遺跡ってなに?
4、年代はどうしてわかるのか?
5、土器研究について
6、古墳時代の研究法についた
7、南山城の古墳
8、南山城の古代学
9、南山城の中世学
10、奈良盆地の古墳時代-邪馬台国論争を考える-
11、大阪の古墳時代-大山古墳は仁徳天皇陵か?-
12、高松塚には誰がいたか?-個人名を探求する-
13、考古学と文化財解析-総合学としての歴史研究へ-

多賀町でのシンポジウムを終え、東海道線に乗ってH先生と鎌倉時代の京都についての話をしながら帰る
鎌倉時代の北野社が中世の京都を構成する島宇宙のひとつだったと言う
興味深いテーマではないだろうか

ところで、日本史と日本以外の国の歴史との関係をみると、意外なことに気づく
フランク国王のカール大帝は桓武天皇と同じ時代の人
オットー1世やカノッサの屈辱で有名なグレゴリウス7世は平安時代の人
マグナ・カルタを承認したイギリスのジョン王は源頼朝に近い
マルコ・ポーロは承久の変あたり
ジャンヌ・ダルクは百年戦争のキャストだが、百年戦争は南北朝期から応仁の乱の直前までの時期
ダ・ヴィンチは第12代将軍の足利義晴が柳原御所をつくる直前に死んでいる
狩野永徳は二十歳の時に晩年のミケランジェロに会えたことになる
考えてみればあたりまえなのだが
時間は否応なく流れ
歴史は地球上のどこでも同時進行で生み出されている
時間という経糸と空間という緯糸を紡ぐ作業は日本列島だけにどどまるものではない

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