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2005年11月 9日 (水)

予測する歴史学

全国で遺跡を調査している機関の多くは基本的に教育委員会所管の地方公共団体になっている。ただし知事部局や教育委員会に属さない博物館や会社組織など、もちろん大学でも調査をしているので、この仕組みは絶対的なものなのではない。あくまで行政上の問題にすぎない。その中に財団法人の調査機関をまとめる組織があって、そこのコンピュータ関係の委員会から、埋蔵文化財とコンピュータの関係をその初期から現場で知っている人間として呼ばれて話をしたことがある。1996年の金沢だった。
その時の演題にしたのが「予測する考古学」だった。
1986年くらいから京都と奈良を中心に埋蔵文化財とコンピュータの関係を考える個人的な集まりがあって、ある組織ではそれを研究会にする動きもあった。それから10年たち、しかしその後のはかばかしい進展はなく、関係する研究会の方向も考古学とは違ったものになっていっていた。この辺で一度問題を整理する必要があると思っていたのでその話をした。そのタイトルである。
いつも言っていることではあるが、コンピュータありき、統計ありきでおこなわれている考古学とコンピュータの現状に警鐘を鳴らし、あくまで問題の所在は歴史的な疑問であり、コンピュータは、その歴史疑問に解答を導くための仕組みや仕掛けであるという考え方の確認である。考古学に関係している人間はもっと歴史家としての意識を高めなければならないぞという話である。
ただし、コンピュータの力は単にそういった研究支援だけではなく、やり方次第では、いわゆる歴史研究の最大の限界である「ないものは語れない」というコンセプトを乗り越えることができる可能性を持っているので、それがおそらく埋蔵文化財を含めた歴史学全体とコンピュータの生産的で本質的な関係になるだろうとまとめた。
これが「予測する考古学」の要旨である。

その後、その現実的な事例として、発掘調査の予算だてをする際に、調査経費の根拠として、その調査地の隣接地点の調査成果データをまとめれば、合理的な調査方法と予算だてができるのではないかと、そのデータベースをつくりだしたこともあった。いたってプリミティブだが、わかりやすい予測の一例だと思う。

この学部が開設されて半年たち、さまざまな人との交流や高校生とも話す機会があり、とくに先週の大森一樹監督と話をする中で、文化情報学として考古学および歴史学がなにをするべきかについてあらためて整理することができた。
そのひとつとして、大森監督との話で話題になったのは、「アナログデータは無限の情報の集合であり、デジタルデータというものはあくまでその一部である」ということだったが、文化情報学の目標のひとつはデジタルデータを駆使しながら、その時にこぼれ落ちるアナログデータについてもしっかりふまえた考察をすることだと思った。

そう考えていた時、かつて一緒に南山城を歩いた文学研究科のS君のコロキアムの中で出てきた、「歴史学というものは、残っている史料でのみ説明を考える」という慣れ親しんだスタンスと大森監督との話がオーバーラップしてきた。
これまでアナログ研究の代表だとされていた歴史研究であるが、「歴史」というものは本来アナログの無限情報で、一方「歴史史料」や「考古資料」とは、たまたま残った「歴史」の断片なのだから、比喩的に言えばそれらはデジタルデータという見方ができるだろう。
そうすると歴史研究というものは、そういった歴史の断片の(デジタル)データの集積と因果関係の合理的な説明から本来のアナログな歴史全体を再現しようとしてこれまで格闘してきたのだから、実はここで言う文化情報学の考え方と非常に近い関係にあったということになる。
そして文化情報学でおこなう歴史研究は、位置情報を軸としたデジタル化による歴史情報の総合で、従来の歴史研究のジャンルを越え、合理的なそれらの融合を統計の手法を取り込んでめざすので、あるものを集合して、それらの関係の説明もするが、それ以上にそれらの間にあったみえないものも創りあげ、それを含めた説明に挑戦するものと考えている。誤解を恐れずに言えば、見えなかったものを創り出し、それによる新しい解釈の提案をする研究である。
これを鋤柄は、従来の復原的研究から一歩進んで積極的に解釈を提案する意味で「予測する歴史学」と呼ぼうと思う。
かつてより大学者達がおこなってきたオーソドックスな歴史研究そのものである

そんなことを考えてたとき、東京から文献の研究者が到着した
ある地域を対象にした歴史情報の総合的なデータベースを考えているという
そして文献史料の公開を、情報の提供であり共有化であると言う
場所にこだわりジャンルを越えた歴史研究の必要性が、文献史研究のスペシャリスト達の中でも意識されていることに大きな時代の動きを感じた
思わず新田辺で長居を

<明日のテーマは「嵯峨野について考える」>
写真は本日ゲットした大学のネックストラップの新製品

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