« 嵯峨野について考える | トップページ | 歴史遺産活用-懐かしさが沸騰する時- »

2005年11月11日 (金)

歴史的景観復原を考える

奈良文化財研究所と言うところで遺跡GISの研究会があって今出川キャンパスの調査の話をしてきた
鋤柄以外にもいくつかの話があったが、その中である報告を聞いていて懐かしい思い出がよみがえってきた
その人は、GISとCGを利用して歴史的な景観復原をおこなっているという
時代は江戸時代である
歴史の専門ではないので、あくまでわかりやすいデータ化ができる資料のある時代を対象としている
おもに絵画資料をもとに、CGで建物を復原し、それを風景の中に入れ込んでいた
とてもよくできた作品ですぐれた研究だと思う

しかしすぐに「これは歴史家から見たらちょっと違うなあ」と思った
人間がいないのである
精巧な模型の町並みをつくり、それをビデオカメラで写している風景なのである
「ああそうか、これが理系の考える歴史的な景観復原なのか」と思った
けれどもすぐに思い直す
知り合いの理系の人たちの中には、鋤柄以上に歴史上の人物に関心を持っている人も多い
逆にそういったことにまったく無頓着な文系もたくさん知っている
そうすると
理系とか文系とかの区別の問題ではなく、「歴史」というものに対する関心の持ち方の違いがなすものだろうか
そういわれると、「歴史」というものを深く考える必要のない期間が長かったからだろうか
現在の社会状況において、「歴史」というものは確かにわかっていそうでわかりにくいテーマになっているのかもしれない
しかし現在「歴史」を考えることが、とても必要な出来事が多くなってきているのも事実


だいぶ前に関東のある博物館へ行って、その時文献史研究の専門家が町並みの模型展示を見ながら言った言葉を思い出した
「今回初めてこの町並みに人形を入れたんですよ。しかも物語を考えながらね。やっぱり歴史は人間にかかわるエピソードが無いとねえ」
それまでその町並みの模型には人間はいなかったのである
見る人に特定のイメージを押しつけないように人間を入れない方が良いという考え方が主流の時代も、歴史研究の過程で確かに存在したのであった
しかし、それは戦前の状況との関係で、歴史家としての自らのアイデンティティーに対して、あまりに遠慮しすぎていたのではないだろうか


1990年、佐倉の国立歴史民俗博物館の特定研究会にゲストで呼ばれ、網野善彦先生の前で河内鋳物師の話をした
31歳だった
網野先生は61歳だった
あの高名な歴史学者を前にして、その代表作に関係した南河内の鋳物師の村について、おそらく日本で初めてプリミティブな歴史情報のGIS研究を披露した
しかし網野先生は「んんんん 隔靴掻痒かなあ」と言われた
その時は網野先生の反応がショックだった
しかし、今から思えば「だからなんなのか」という気持ちをもたれたのだと思う
人間が抜けていたのである
それが今はよくわかる

それからたくさん勉強をして、40歳をすぎて網野先生から面白がってもらえる文章が書けるようになった
今日の話を聞きながら「そんな頃もあったなあ」と懐かしく昔を思い出した
しかし、そんな網野先生ともう話のできないことがとても辛い
いろいろな考え方はあるかもしれないが
歴史とは空間と時間と個人的な人間のストーリーをもったコンテンツだと思う
だから鋤柄は、やはり網野先生が納得してくれるような歴史的景観復原をしていこうと思う

« 嵯峨野について考える | トップページ | 歴史遺産活用-懐かしさが沸騰する時- »

遺跡の見方」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 嵯峨野について考える | トップページ | 歴史遺産活用-懐かしさが沸騰する時- »