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2005年12月 5日 (月)

The Google Earth-Mさんへ-

上京区衣棚通寺之内上ル上木ノ下町に臨済宗の単立寺院である宝慈院がある。
本尊は阿弥陀如来で、「京都事典」によれば、13世紀末に金沢顕時の妻だった無外如大尼の創建した景愛寺塔頭の資樹院が前身と言う
無外如大尼は無外が道号の尼僧なので、名は如大となるか。MIHO MUSEUMに文永2年(1265)の銘をもつ「かな文」があり、その解説によれば、父は執権北条氏の外戚だった安達景盛で、夫が早世したため無学祖元を師として出家し、西五辻東町の景愛寺の開山となったと言う。
ちなみに父の安達景盛は明恵上人(1232没)の弟子で高野山金剛三昧院の開基とされ、無学祖元は円覚寺の開山(1282供養)であるから、仏教にきわめて親しい環境だったと言える。

さて、その景愛寺だが、大宮五辻の西北の地で西32丈5尺、南北43丈を建治3年(1277)に理宝尼が皇族の安泰と故御所の冥福を祈って如大尼に寄進した土地で、およそ南北1町東西3/4町の広さをもつ。
仏光国師の無学祖元にちなみ、京都における仏光派の最初の道場とされ、仏光派の援助により拡大、室町時代初期に尼寺五山が制されると、その筆頭になった大寺である。
末寺が宝慈院・宝鏡寺・大聖寺・継孝院など
寺の存在は明応頃(15世紀末)までわかっているが、その後は戦国の世に忘れ去れていったという。
なお弘安8年(1285)に仏光によって印信許可された如大尼は、永仁6年(1298)11月28日に76歳で示寂している。

現在の大宮五辻は商店街の中で、北野から東へのびてきた五辻通の終点になっている。面影は無いように思うが、この通りが定家の時雨邸と後鳥羽上皇の五辻殿など、京の鎌倉を語るときに、なくてはならない存在だということをあらためて実感させるエピソードだと思う。

<追記>
「後深草院二条」さんのサイト
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/yanbe-hiroki-mugainyodai.htmで
山家浩樹さんの「無外如大と無着」『金沢文庫研究』第301号 神奈川県立金沢文庫1998の紹介を知った。
夫が金沢顕時ならば、「夫が早世したため」というエピソードが矛盾し、二人の女性に関わる記録の詳細な検討や、足利氏との関係など興味深い内容をもつ。


今日の午後、上京webに載せているマップの視覚効果をGくんとTくんとKくんと話し合っていて、やはりGoogle-Mapsではないかということになり、いくつかのサイトを調べ、実験的にhttp://hsj.jp/gme/のGoogleMapsEditorでサンプルを作成してみることになった。
うわさのThe Google Earthも試してみて、これは水曜の文化史特論で紹介してみようと思う。
とりあえず「WORKS」-「遺跡の見方と考え方」をgoogle-maps連動版にしました
お試しください
では

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