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2006年1月17日 (火)

あれから11年たつ

1995年(平成7年)1月17日(火)。あとからの記録を読むと午前5時46分52秒だったという。
テレビをつけると確か阪神高速松原線の画面が写っていたような気がするが、あるいは大坂城の事務所に着いて見た映像だったかもしれない。
家の様子を確かめると、サラリーマンの習いにしたがい、ともかく事務所へ行こうと駅へ向かう。6時半をまわっていただろうか
列車ダイヤは乱れていたが、まもなく各駅停車が来たので乗り込む
西大寺でもそれほど待つことなく乗り換えが出来たように記憶している
いつもは生駒から地下鉄中央線に乗り換えるのだが
さすがに停まっており、そのまま生駒の西麓を駆け下りる
上本町で降り、地上に出て谷町筋を歩いて府庁へ向かう
大きな地震だということはニュースで知っていたが、谷町界隈にそれほどの影響はみられなかったと思う。
府庁の整備事業に伴う大坂城跡の発掘調査事務所は、1階が駐車場でその上に2層のプレハブでつくられた構造になっていた。
ゆえ、遺物のおかれた棚も机も倒れているだろと思いながら階段を駆け上がる。
ちょうど9時の出勤だった。

1週間か10日ほど経ち、友人を訪ねて東灘へ入った。西宮までは電車があり、そこから徒歩で西へ向かった。道路が波打っていた。家が崩れていた。テレビで見ておりわかっているつもりだったが、テレビとはまったく違った風景がそこにはあった。幸い友人とその家族は無事だったが、妙に乾いた空気と重い空がひろがっていた。目の前には、テレビに映された断片ではなく、アナログでシームレスな全体がひろがっていた。
これが現実だと思った。そしてこれを伝えなければならないと思った。

しかし、それはどんな言葉を使っても、どんな映像を使ってもそれは伝え尽くせないものだった。どんな言葉でもどんな映像でも表現し得ない、現実という膨大な情報のかたまりのすごさを思い知られた。
事実を正確にアーカイブして、さらにそれを伝えることの難しさを思い知らされた。
歴史研究における臨場感と歴史叙述へのこだわりがうまれたのはこの時だったのかもしれない

一昨年の1年間、神戸で考古学を教える機会があった。また平清盛とのつきあいでしばしば神戸を訪れた。
新しい街が次々とうまれ、あの頃の面影は少なくとも表面上はすっかり無くなっていた、と思う
歴史を研究するということは、実は途方もないことである
けれどもそれはとても必要なことなのでもある

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