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2006年1月23日 (月)

歴史は現場で

Hi330230 八幡市で分布調査の打ち合わせをするために丹波橋で近鉄から京阪に乗り換えた時にテレビでやっていたICOCAとPITAPAの相互利用開始を思い出したので思い切って京阪の改札にICOCAをあてたら正常に反応があっていやはやまた新しい時代が始まっているなあと思いながら淀を過ぎて八幡市駅へ。

新御堂を梅田に向かうときに渡る大きな川が淀川だと思っている人が多いだろう。それも正解。しかしあれは人口の放水路で元々は大阪城の北を流れる通称大川が本流。伝説によれば、あの川底には夏の陣で城を逃げ落ちた多くの女房達が、一緒に持たされたという竹筒に金を流し込んでつくったインゴットが沈んでいるという。
いずれにしても河口は大阪湾との接点ということで良いが、それでは起点はどこかというと、それが京阪八幡市駅の北から橋本あたりの木津川(京田辺キャンパスの東を南北に流れ、大久保から南へ行く途中で新田辺の駅の直前に渡る川)と宇治川(桃山御陵の南を流れている川)と桂川(嵐山の川)の合流点。通称三川合流という言い方もするので覚えておこう。

ところがこの三川合流の場所が時代で違う。とくに江戸時代までは木津川は現在よりずっと東の京滋バイパス久御山淀インターチェンジのあたりを北上して桂川に流れ込んでいたことが地形の観察でわかる。ちなみにこの久御山淀インターチェンジが、あの有名な「踊る大捜査線movie2」でレインボーブリッジになったところ。つまり現在の八幡市駅北一帯の木津川は明治初年に川になったところで(詳細は淀川資料館http://www.yodo-museum.go.jp/index.html参照)、江戸時代以前は普通の陸地だったのです。

八幡市の南に位置する男山の山頂にはあの有名な(宇佐八幡宮から勧請され、平安京の南の護りで、源氏一族の信仰を集め、全国のいたるところにある)石清水八幡宮があるが、現在の風景からは繁栄をとげたその門前町の姿を思い浮かべることが難しい。シュリーマンではないが、明治の初年に造られた現在の木津川の下にその町並みが眠っているのではないかと思っている。平安時代は多くの天皇が訪れ、鎌倉時代には頼朝が精神のよりどころとした神社の街のにぎわいとはどんなものだったのだろうか。水の少ない季節には井戸枠など町の痕跡が川面から姿を現す。これが木津川河床遺跡である。モノを調べて場所を確かめて史料を読んで。
歴史は現場でおきているんだ
これで雪が降っていなければ最高なんだが・・・・・

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