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2006年1月11日 (水)

護浄院

Kiyosikojin 通称、清荒神(きよしこうじん)である
文化史特論を終えて、来年度の新しい授業の打ち合わせのために寺町丸太町へ行く
その後、今出川へ行くために寺町を上がりながら荒神口まできて思い出し東へ曲がる
すぐ北が鴨沂(おうき)高校(日本最初の女学校を前身とし、沢田研二の出身校としても有名らしい)で、道長の法成寺跡がその場所にダブる
平安京で言えば東京極一条下がるの東である
愛宕さんと並びおくどさん(かまど)の火の用心で有名な荒神さんがここである

天台宗常施無畏寺(じょうせむい)または常施寺と言って、本尊が三宝荒神尊となっている
寺伝によれば、光仁天皇(桓武の父)の宝亀2年(771)に、桓武の兄とされる開成皇子が箕面の勝尾山を開いたときに、荒神が出現したので、それを守護神として箕面の清(きよし)に祀ったのを始まりと言う
後小松天皇の時代(15世紀初め)に乗厳が高辻堀川の東と言えば、現在の四条通と五条通の中間の通りに移し(現在その場所に「荒神町」という町名が残る:別の見方をすれば室町時代の下京の南西隅の外)、慶長5年(1600)に豊臣氏の命でここへ移ったと言う
寺町の造営に代表される秀吉の京都改造は1591年前後で、秀吉は1598年に死んでいるので、1600年の移動が豊臣氏の命に依ったとしても、いわゆる寺町造営とは別の機縁によるものとなる

Kokaku 江戸時代も代々の勅願寺として霊元天皇や東山天皇が護摩供をおこない、その後も朝廷からの篤い信仰を受け続ける。巽(南東)の守護神とされたらしい。元禄7年(1694)に「護浄院」と命名。境内に君主としての自覚が強く朝儀復興をつよくすすめ、石清水や賀茂の臨時祭の復興を果たし院政をめざした光格天皇(1771~1840)の胞衣塚がおかれているが、これも朝廷の信仰のあらわれか。
不動明王は慈覚大師、如来荒神は乗厳の作

Rinkokan 久しぶりに新町キャンパスの新しい臨光館へ行く
ここは室町時代の後半、藤原家筆頭の近衛家の別邸があった場所
2004年に発掘調査をおこなって関連する遺構が見つかった
新しい臨光館ができる時にその一部を残して、建物にその位置がわかるサインを付けるように工夫をした
見事に1階の床に柱穴が表示してある
皆さんここから北が安土桃山時代の近衛家別邸の敷地です
やはりわかりやすいのは良い

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