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2006年1月10日 (火)

こいつあ初春から

1990年代の前半、千葉県の佐倉市にある国立歴史民俗博物館である共同研究がおこなわれた
テーマは中世食文化の基礎的研究だった
鋤柄は西日本の土製食膳具と煮炊具の総覧と土製煮炊具の意味論で、例によって長い論文を書いた
思い起こせば卒論・修論に加えて、30代で書いた2本の歴博の研究報告の長い論文(48集と71集)と40のはじめに書いたやはり歴博の研究報告の長い論文(92集)が自分の研究の骨格になっている
その意味で歴博にはとても御世話になった
それはともかく、その時の論文で残念だったのは
中世食文化をめざしながら中世食器文化にとどまった部分多かったことである

原田信男さんが書いているように、中世史の研究テーマの中心は権力や支配と自由で
実は中身の濃い生活文化に注目されることがあまりなかった
しかし権力も支配も自由も、根っこはベタな生活文化に基づいた社会構造の上に成り立っているもの
ゆえ、リアルな生活文化と社会構造が説明できないような権力や支配や自由は、あまり臨場感の無い議論となってしまう
その点で権力や支配や自由と直接関係のなさそうな考古資料はベタな生活文化や臨場感のある社会史が描けるものと頑張ってはみたが
もちろん達成できたところもあるが、全てが満足できるものではなかった
歴史系の隣接諸分野を総合した考察を十分に行き届かすことができなかったのである
(その点については、48集や92集の方がお気に入りの作品である)

昨年の秋に、森浩一先生の「食った記録」が出た
森先生の20年間におよぶ生きた食文化のデータである
これは書けると思った
この膨大で貴重な生きたデータの鋤柄的な考察をしたいと思った
そこで正月休みの間、森先生の食った記録と格闘していた
古代の延喜式、中世の往来物、近世の日記類
比較する資料はいくらでもある
これまでアナログでシームレスな歴史の断片に過ぎなかったそれらの史料に対して
「食った記録」20年間のアナログでシームレスな歴史そのものである
面白いにきまっている
しかしどうしてもまとまらなかった
考えてみれば当たり前だった
500品目を越える食材と料理
知っている食材より知らない食材の方が多い
インターネットの切り貼りも効かない細かさ
こぎれいなまとめすらできるはずも無いのである
けれども愉快だった
身近なところにもこんな豊かな文化があるということ
じっくり考えていこうと思う

ということで鋤柄版「食った記録」を付けていこうと思う
そんな今日、もうひとつこの話題に良いエピソードが加わった

森先生の事務所で遅まきながらの新年の挨拶に行って
洋食屋の話しやらそんな話をしていたら
文藝春秋の「オール読物」の新年号で、丸谷才一さんが「食った記録」に触れた随筆を書いているという
あわてて今出川の書籍で買って読む
さすがのプロの目の付け所と文章のうまさに脱帽
やはりまとめきれなくて良かった
この年末年始の格闘は有意義だったと
こいつあ初春から縁起がいいわい

とは言え、今年のモットーは、「上手な時間の使い方」のはずだったが
10時から工学部のO先生とVIVID910の実験を始めたが、どうもうまくいかずドロー
お昼休みの迷惑を顧みずリエゾンと情報メディアをまわって、ともかく13時20分に興戸を出る
森先生の事務所をまわって15分そこそこで今出川へ
その後上京区役所で上京探索マップのほぼ最終に近い校正を渡して打ち合わせ
後は本当の最終校正をして色校正をすませば今月末には刊行予定
学生君たちが自ら歩いてつくった上京の探索マップ
出来上がりも反応も楽しみである
帰りに暗くなった寺町を下がって下御霊神社まで来て昼食を摂ってないことに気づく
やれやれと御池地下街のカスケードでパンを買って帰る

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