« 黒田日出男さんの群馬学の確立にむけて | トップページ | 写真測量ソフトによる実測の実験01 »

2006年1月14日 (土)

柿とポッドキャスティングなかわらけ

Ichidakaki長野県の郷里から干し柿が届いた
市田柿という
市田は地名である
長野県の南部、伊那谷に所在する
http://www.navitime.co.jp/map/?datum=1&unit=0&lat=%2b35.32.45.797&lon=%2b137.53.22.500
天竜川の流れる伊那谷は、全国的に河岸段丘の有名な場所で
毎年秋になると、その下の段は濃い川霧につつまれるという

伊那谷の干し柿はそんな環境の中、しっかり干されて水分が抜けてタンニンが固まって渋が抜けていくと言う
渋の抜けるくわしいメカニズムはよくわからないが
ビタミンが豊富で風邪や二日酔いに良く効くと言われる健康食である
子供の頃はあまり食べなかったが
最近はこの甘さが好きになって冬の楽しみになっている

ところで柿の渋は歴史の分野に無関係ではない
考古学は腐って無くなってしまうものや再利用されて最初の姿をとどめていないものが苦手で
そのくせそれをいつも忘れがちになっているという面をもっているが
旧石器時代だからといって石器だけで生活がおこなわれていたわけではなく
縄文時代だからといって土器だけで生活がおこなわれていたわけでない

その忘れられがちででもとても重要なものが木製品
(その次が再利用されて当初の姿が忘れられてしまう金属製品)

そのため、いつの時代の木製の皿や椀がどんな形をしてどのように使われていたかはよくわかっていない
一応、平安時代(9世紀)には現在の多摩ニュータウンで白木の皿が使われていたことがわかっているが、それはおそらく神事に伴うもので日常生活の容器についてはわからない
鎌倉時代後半以降になると、ようやく漆器が多く見つかってきて、考えてみたら当たり前だ

が日常生活に木製品が多く使われていたことが考古屋さん達にもわかってくる
ただし見つかっているのは京都のクリスタルビルの南や鎌倉や草戸など一部でいたるところから見つかっているわけではない
実はいたるところから漆器椀が見つかるのは室町時代後半以降になってからである
なお室町時代後半という時期は、漆器以外にもそれ以前あまりみられなかったさまざまなものが普及するという不思議な時代である

それはともかく鎌倉時代後半にはあったことがわかる漆器椀だが、その始まりは平安時代後半だったらしい。もちろん漆をコーティングに使う技術は縄文時代にさかのぼるが、その後一般にはあまり姿をみることなく、再登場が平安時代後半だということなのである。
ただし、そこにつかわれたのはいわゆる漆だけではなかったという
「柿渋」が白木の上にほどこされたコーティング材(柿渋と炭粉をつかった「渋下地」)で、それが安価な漆椀の普及を促したと言われているのである(石川県の四柳嘉章さんの研究)

最近ではおしゃれなクラフトショップで柿渋の使われているものがあるので知っている人も多いとは思うが、防腐効果や、防水性を利用して、染めや建材にも利用されているようである
先日寺町のオリエンタルなショップで中国製の赤漆椀を1000円で購入した
縁に布着せがあって、漆の粗塗りがそのまま残り、素朴な形も良かった
平安時代後半の初源的な漆器とはこんな感じだったのだろうかと思いながら

月曜日に立命館でおこなわれるCOEの研究会で話しをするのだが
イギリスのサイモン・ケイナー氏が「デジタル時代の考古学」を話す
鋤柄は日本での実践的な事例を話す予定だが
ポッドキャスティングの可能性に注目しているので
去年文化史特論でおこなったインターネット授業の一コマ「かわらけの文化史」のさわりを
載せて紹介してみようと思う

Photo

去年の冬に京田辺のローム館にあるスタジオで1人で収録したものだが
パワーポイントと進行と映像が同時に編集されて収録できるシステムだった
ところがそのデータがダイレクトにRealPlayerになっていたので
Aviに変換して編集するのがとても大変やった

http://scoophand.cocolog-nifty.com/kawarakedemo00.mp4(25秒の映像)

http://scoophand.cocolog-nifty.com/kawarake01-001.mp3(3分のしゃべり)

« 黒田日出男さんの群馬学の確立にむけて | トップページ | 写真測量ソフトによる実測の実験01 »

遺跡の見方」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 黒田日出男さんの群馬学の確立にむけて | トップページ | 写真測量ソフトによる実測の実験01 »