« 歴史は現場で | トップページ | お気に入り »

2006年1月24日 (火)

没個性な都市と個性的な都市

2000年4月17日に書いたメモが出てきた。書き出しは面白いが、後半が不熟のままである。面白いので少し手をいれて載せる

 中世の都市における住人の価値観の多様性についてもう一つ加えると、中世の都市はその地域の中で非常に個性的な存在であるが、実は列島の中でみると没個性的な存在であったように見える。それはそれぞれが基本的に自己完結的であったこと、再生産を自己の内部でおこなうことができた、という特徴による。中世都市の研究のある面に、そういった評価がなされた理由のひとつはここにあると思う。
 誤解を恐れずに言えば、たとえば平国香の時代から北条氏の時代だろうか。
 一方これに対して、村落は一般に没個性的な存在と思われていたが、それは農村のみを見ていた場合で、実は「工村」や「商村」といった様々な顔をもつ村が各地にあることがわかってくると、地域はそのような様々な特徴をもった村がそれぞれ必要な役割分担をして成り立っていた、ということになり、実はそれぞれの村は実に個性的だったということになる。それを実証したのが南河内の鋳造村落遺跡研究である。
 しかるにある時期から都市とよばれるものも、それぞれの地域とそれぞれの為政者にとって有利な再生産の事情を反映した構造をとりだしはじめ、それが汎日本的に見てもそれぞれ違った個性を見せてくる。そしてそれが当然流通に反映され、モノの動きや分布にも変化が現れる。もちろんその背景にあるのが政治・経済・宗教その他様々な要因だろう。
 誤解を恐れずに言えば義政以降の時代だろうか。
 中世の都市と呼ばれるものの研究には、このような時期を異にした2とおりの姿があったことを考慮する必要がある。そして消費についても、村落の集合としての「都市」の消費と、そうではない、村落とは異なった消費のありかたと、2とおりがあった可能性も考慮する必要がある。
 それでは後醍醐から義教の時代はどうか

« 歴史は現場で | トップページ | お気に入り »

遺跡の見方」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 歴史は現場で | トップページ | お気に入り »