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2006年1月19日 (木)

いろいろなこと

この数日、情報と現代社会にかかわる問題が噴出している
情報に対する実質的な管理体制が弱かったとの論評が多い
別の言い方をすれば情報に対する意識の問題だと思う

ある年表によれば、アメリカでインターネットの研究が始まったのは1957年
(鋤柄の生年は1958年だが、これは偶然か歴史的な必然か)
日本でインターネットの商用サービスが始まったのは1992年だという
そう言えば記憶にある最初のネットはパソコン通信だった
鋤柄がまともにインターネットを活用はじめたのは1990年代も後半だったと思う
たぶんまだ10年経っていないだろう
日本における情報との関わり方はまだ幼年期の真っ最中なのである
情報と人間社会との本当の意味での付き合い方ができるのはこれから
これも文化情報学部が担わなければならないテーマ

丹波と丹後と但馬と若狭について少し
『丹後風土記』逸文に丹波郡比治里にある奈具社創祀に関わる伝承がある
・比治里の比治山の頂上に真奈井があって、そこで天女8人が水浴をしていた
 比治里の老夫婦がその衣を隠したので天女が天に帰れなくなった
 天女は美味しい酒をつくることができたが、苦労をかさね、やがて奈具社の神となった
・古代、丹波や但馬沿岸部に常世信仰があった
 丹後国竹野郡に生王部神社
 但馬国出石郡に大生部兵主神社
 天平勝宝2年の記録に出石郡穴見郷の住人として大生直山方
 若狭国三方郡常神社
 石見国常世国社
 スクナビコナ神は出雲から常世に渡る
・これらの伝説は、丹波・丹後と大陸との交流のを物語る
それから、但馬については、但馬考古学研究会編による「古代但馬と日本海」という本がある
富山学研究グループによる「環日本海、その新たな潮流」も参考になる
 なお、森浩一先生が続けている春日井シンポジウムのテーマの中で東海と北陸の関係がとりあげられているが、その根拠のひとつが、古代氏族における丹波と三河のつながりである

木立雅朗2004「北陸における「古代寺院」研究の課題」「金沢市史会報」20
木立雅朗2003「「刷毛目」調整と工具の基礎的研究1」「立命館大学考古学論集」3
木立雅朗2005「近世鉛釉系陶磁器の窯について」「立命館大学考古学論集」4
法蔵寺鳴滝乾山窯址発掘調査団・立命館大学文学部2005「鳴滝乾山窯跡」

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