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2006年1月18日 (水)

歴史をプロデュースした人々

 同志社大学がすすめている文部科学省のCOEやGPの中で、鋤柄は「平成16年度 現代的教育ニーズ取組支援プログラム」による『プロジェクト主義教育による人材育成 「プロデュース・テクノロジー」の創成』に関わっている。
 これからの時代に必要な人材のキーワードのひとつは、実践的でさまざまな問題を克服していける力である。いわゆるプロデューサーという人物に象徴されるこの力であるが、このプログラムでは、それを個人の資質に頼るだけではなく、適切なトレーニングによって獲得しうる普遍的な要素として抽出し、それを教育に活かすことを考え、メディア業界にとどまらず、さまざまな分野についてのプロデュース的な事例を集めて研究をすすめてきている。
 鋤柄の場合は、当然歴史にその題材を求めるわけであるが、一般的に言われるような卓越した能力やチャンスに恵まれた人物ではない歴史の事象の中から、にそういった人物や環境が求められないかを課題として、これまで何人かの歴史家と討議をおこなってきた。
 その結果、古代・中世における歴史の動態を政治のプロセスに注目して見ていく中で、最終決定権者が、その意志を固める際に働いた要素として、判断を支援する情報の蓄積である「文書」とその「文書」にかかわった人物にスポットをあてることが必要との指摘を受けてきた。
 一般に古代・中世の歴史の表面に残されるのは、それぞれの時代の覇者である。そして歴史というものは、そういったそれぞれの時代の覇者が意志を決定し、時代をつくってきたとして語られてきた。もちろんそれぞれの時代の変わり目において、次の進むべき道を決めたのは彼らであり、その意味においてそういった歴史の説明に間違いはない。
 しかし、その内部をみれば、かれらにそういった決定をくださせた仕組みが当然あったのであり、それは下さなければならない決定が重いほど、大きいほど単純ではなくなる。
 国家の運営に関わる決定とはまさにそういった決定であり、その意味でそれぞれの時代の覇者達は自らが下したと思ってはいるが、あくまでそういった決定を下すための支援のプログラムの中で動いていたと言えることにもなるのである。
 そういったことを考えたとき、歴史資料として登場するのが決定の判断基準の根拠となった情報の集積としての「文書」であり、それを最終決定権者につたえた人たちの働きであった。
 彼らは平安時代は家業として情報を集積し、「日記」という形でそれを財産として残し、その影響力を維持した。情報を共有化してかつそれを使える人間関係を家業としてもつことで、情報の収集に関わりながら社会の中で認知された立場を最大限に利用して人間関係を広げていき、人的なネットワークのコネクションも自動的にひろく形成する。そのことは、その家業が維持された古い家というものが横のつながりが大きいため、さらに情報の収集がすすむという相乗効果を生み出すことにもなった。
 彼らは情報のでどころの信頼性と、複数の情報源を比較してそれを見分ける能力を伝統的にもつようになり、中には金売り吉次などといった商人や密教といった宗教者との関係も利用するようになる。そして時には編集や編纂という行為によって情報操作もおこなった。さらに時代が下がれば、人は抽象的な原理だけでは動かないため、自分の方針を納得させるための会議をひらき、秀吉は情報を集めて信長にプランの正当性しっかり説明したとされている。プレゼンテーションの能力も彼らに求められた重要な要素となった。「文書」は、その根拠となった重要な情報の集積だったのである。
 古代・中世の歴史をふりかえり、いわゆる歴史の表面にでてくる卓越した人物以外で歴史を動かしたものを考えたとき、そこに見えてくるのは、政治の最終決定権者の意志を操ったとも言える多くの情報収集者とかれらの存在を維持させた(結果が革新であったとしてもあくまで前提は)先例にならう社会制度および彼らの家業組織ではなかったかと考えられる。別の言い方をすれば、プロジェクトを遂行する際に、いかに失敗を防ぎ成功を呼び込むかのノウハウの集積と言っていいかもしれない。そしてそれが従来より歴史研究が担ってきた最も大きなテーマにもつながるものであることは言うまでもない。
 歴史に普遍的なプロデュースを学ぶとするならば、たとえばそれは藤原実資にさかのぼるような、家業として維持されてきた情報の収集と活用の力であると言えるのではないだろうか。

今日は2006年初めての上京プロジェクト会議
正月明けはじめてゆっくり学生君たちと話しをする
完成直前の散策マップを確認した後、上京探訪館webと知恵袋の打ち合わせをする
わいわいと言いながら仕事が進んでいく
楽しい
早いものであと数日で秋学期が終わる
上回生は卒論や修論に立ち向かい、1回生は初めての後輩を迎える時が間近
あせらず安易な近道を選ばず結論を急がず
時間がかかったとしても、たくさん試行錯誤をして知識ではなく経験を蓄積して
自分の中にいろいろな色や大きさの引出を作ってほしい
まずは試験ガンバレ

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