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2006年2月23日 (木)

万年山相国寺

永和4(1378)年に「花の御所」を造営した足利義満が、その東隣に築いた一大禅苑です。
約10年の歳月を費やして明徳3年(1392)に竣工しました。
開基は夢窓疎石で本尊は釈迦如来。
夢窓疎石(1275~1351)は伊勢国生れで、初め天台教学を学んだが、後に来朝した一山一寧に禅を学び禅僧にすすむ。隠遁癖が強く、美濃の古谿庵、土佐の吸江庵、三浦の泊船庵、上総の退耕庵、伊勢の善応寺、鎌倉の瑞泉寺、播磨の瑞光寺等を開くき、南禅寺・建長寺・浄智寺等の住持も務めます。京都臨川寺を本拠として西芳寺を開き、後醍醐天皇に国師号を贈られ、後醍醐天皇の冥福を祈るために天竜寺を開山した。造園にすぐれ西芳寺、天竜寺、鎌倉瑞泉寺、山梨恵林寺などに名園を残します。
また禅宗寺院を統制する僧録司の職が置かれ、春屋妙葩がその最初の職に任じられます。
春屋妙葩(1311~1388)は夢窓疎石の高弟(甥)で、南禅寺でその法を嗣ぎます。応安2(1369)年に延暦寺と南禅寺の争いによって一時丹後に隠棲しますが、康暦元年(1379)に還り、足利義満のときに天下僧録司に任じられ、全国の禅寺・禅僧を統括し、将軍のブレーンとして活躍。火災によって焼失した天竜寺・臨川寺を復興し、五山版を多数刊行して禅林学芸の振興に大きく貢献。義満創建の相国寺は夢窓を開山とするが、事実上春屋が初代とも言われています。
さらに京都五山(南禅寺を上位におき、天竜寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺)の第2位に列し禅宗行政の中心地として、五山文学の中心ともなりました。

ある意味で政治的な意味をもった寺院だったようにも思います。
伽藍は竣工後まもなく失火で炎上、すぐ再建にかかり、応永6年(1399)には高さ109mに及ぶ七重塔を造立して壮観であったといい、現在国立歴史民俗博物館にある洛中洛外図は、その上からの眺望を元にしたとも考えられています。
しかし応仁の乱ですべてを失い、のちに豊臣・徳川氏により再興されます、天明8年(1788)の大火で焼け、法堂以外の伽藍はその後の再建です。
京都御苑の今出川御門の北約200m位置に総門を置き、総門をくぐると参道がつづき、右手に塔頭寺院が軒を連ね、左手に三門跡・仏殿跡などの緑地がひろがります。奥まったところに法堂・方丈・庫裡・開山堂などの諸堂が立ちます。

・法堂は無畏堂と称し現在仏殿を兼ねる。慶長10年(1605)に豊臣秀頼が再建。重層の入母屋造、正面七間、側面六間の唐様建築で内部は瓦敷、中央須味壇に本尊釈迦如来、脇侍に阿難・伽葉尊者像を安置する。天井に狩野光信筆と伝える彩色鮮やかな蟠龍図がある。
・開山塔は法堂の東側にある。文化4年(1807)の再建。夢窓国師像を安置し、襖・杉戸絵は円山応挙筆といわれます。前庭は江戸時代後期に改作された禅院式枯山水庭園。
・方丈は法堂の北、庫裡の西側にあり、単層で入母屋造り。文化4年(1807)の再建。
・宗旦稲荷は開山堂の南で鐘楼の後。伝説で有名な宗旦狐をまつる。相国寺の雲水に化けて禅の修行をしていた狐がいたといい、塔頭の慈照院で茶会が開かれた時は千宗旦に化けてみごとな手前を見せ、その後も時々宗旦に化けたと伝える。

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