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2006年3月31日 (金)

さまざまなはじまり

2001年の11月にはじまった今出川キャンパスを中心とした発掘調査事務所のプロジェクトが全ての業務を今日、終了する
最初は事務の松本さんと二人だけだった
2002年2月から現在の新町学生会館地点の発掘調査が始まった
今日の業務終了の指揮をとってくれている市澤君はまだ1回生だった
すでにその時までに次の寒梅館地点の発掘計画がわかっていたため
長期的な視野に立った大規模な調査・整理・公開・活用システムを考える必要があり
古巣の大阪や地元の京都をまわって同志社にふさわしいシステムをつくりあげた

2002年5月から寒梅館地点の発掘調査がはじまった。
夏にその一般公開の説明会をおこなったが、その時に4月から4回生になって
卒論を書き始める松本さんが来ていた
まだ高校生だったことになる
調査は秋学期に入っていったん中断されるが
新町の旧臨光館の地下に設けられた調査事務所では
発掘でみつかった土器や陶磁器の整理や図面の整理作業がすすめられ
いつも数十人の学生の熱気にあふれていた

2002年の年末から2003年の年始にかけて、現在の寒梅館の畳の部屋のあたりの追加調査をした
今出川キャンパスの近くに泊まったこともあった
その年の年度末には
歴史資料館で学生君たちのアイデアを活かしたコーナー展示をやった
調査事務所は整理室と呼ばれ
業務に対する責任感とはじける学生の感性が調和する場所になっていた

2003年の春は、現在の渓水館地点の発掘調査があった
大学院の松田くんと渡辺さんが考古学と文献の両面で調査の指揮をとるようになった
夏は岩倉の看山ハウス地点とクラーク記念館と寒梅館の室町通口の調査をした
学生くんたちと地形や歴史遺産にこだわりながら岩倉を歩いて地域の見方を学んだ
クラーク記念館では地下にもぐって基礎を見た
秋学期から寒梅館のオープンにむけて展示のプロジェクトが本格化した
学生君たちも、乃村工芸の人と一緒に、博物館展示のイロハを体験した
年度末は大騒ぎだった

2004年4月、寒梅館がオープンして実物の遺跡と遺物とマルチメディア展示が公開された
発掘調査というものは、掘るだけではなく、その成果をひろく社会に還元して初めて意味をもつということを形にできた大きな仕事だったと思う
すぐに現在の臨光館地点の発掘が始まった
学生くんたちは、もうみんなすっかりベテランになっていた
調査も整理も報告書の作成もそして遺跡の説明会も
夏に寺町今出川を下がった北志寮地点の調査をおこない
同時に岩倉の小学地点の試掘をおこない
これが今回のプロジェクトにかかる発掘調査の最後となった

2005年3月に新町キャンパスの調査事務所(整理室)が閉鎖され
4月に京田辺キャンパスの整理室に一本化され
資料の整理と報告書作成の作業がおこなわれてきた
新しく開設された文化情報学部の学生君たちも何人かそれを手伝った
院生の市澤君・中川くんと松本さんを中心とする3回生がすべてをオペレートした
そして彼らの段取りによって、しなければならないことが全て予定通りに終結した

ありがとう
そしてご苦労さまでした
鋤柄も君らとさまざまに交流を重ねる中で、大学人として必要な勉強をたくさんすることができました
言い古された言葉ですが
宝です

4月から君たちは修論や卒論やそれぞれの専門を深める勉強がはじまります
がんばれ
そして彼らを支えていた歴史資料館の事務のみなさんも新しい生活が始まります
このプロジェクトを通じて出会った全ての人に
あらためてお礼を申し上げます
ありがとうございました

誰かが泣くかもしれないと言っていたが
ちょっとやばいかもしれない

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