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2006年4月 5日 (水)

善光寺について考える5

問題をいくつか残した
平安時代後期までの善光寺とそれ以降の善光寺の変貌のわけ
そして今回見つかった溝が示す13世紀後半の善光寺門前の風景についてである

善光寺の変貌は、平安時代末期に園城寺末になった時から始まる
園城寺(三井寺)は天台寺門宗の総本山で大津市園城寺町に所在する。山門延暦寺に対し寺門と称す。
7世紀末に大友村主氏の氏寺として創建され、貞観元年(859)に円珍に付属されて再興。
正暦4年(993)に円仁門徒と対立して比叡山から下山した円珍門徒が最大拠点として山門と対抗。
長暦3年(1039)に寺門の明尊の天台座主補任をめぐって山門の焼打ちにあうなど、平安時代末期から鎌倉時代を通じて天台座主補任や園城寺戒壇の別立にかかわり山門と争った。
北陸を代表する白山平泉寺は応徳元年(1084)に比叡山延暦寺の末になっているので、あるいは善光寺もこの天台系宗教組織の大きなうねりの中に巻き込まれたのであろうか

ただし善光寺の場合は、浄土教の庶民化と浸透による重源や親鸞、一遍をはじめとする高僧の参詣や滞在と念仏信仰の一大中心地としての位置づけも重要な特徴であり、鎌倉時代以降の発展はむしろこの面に注目して考えた方が良いのかもしれない
しかしこの分野についての鋤柄の知識はあまりに脆弱であり、現在これ以上のコメントは加えられない

ただし、源頼朝の強い支援を促した原動力については、良く言われているように、その大きなポイントが善光寺聖と呼ばれる勧進聖の存在にあったという考えに賛成である
もちろん善光寺の再興を通じて信濃の武士をまとめようとした頼朝の意図があったことも考えられようが、網野善彦が注目した平安時代末期から中世前期における、神人・供御人・寄人と同じ役割を善光寺聖も果たしたのではないかと考えている
『国立歴史民俗博物館研究報告』92集でまとめたように
石清水八幡宮の神人は瀬戸内を中心とした西日本の流通をおさえ
日吉と白山の神人は北東日本海を中心とした東日本の流通をおさえた
井原今朝男さんによれば、弘安2年(1279)に、勧進聖の法阿弥陀仏は、念阿と道空という二人の勧進説法者を連れて35年間の活動を経、佐久郡落合の新善光寺に阿弥陀仏を造像したという
善光寺聖は、石清水神人や日吉神人たちと同様に、あるいは河内鋳物師のような供御人と同様に、世俗的な境界を越えて各地をめぐり、有形無形のさまざまな情報の媒介者として政治的に経済的に中世の東国をかたちづくる役割を果たしていたのではないだろうか
そして善光寺は、そんな彼らの依拠する場として拡大・発展していったのではないだろうか
善光寺聖についての詳しい研究を調べたい

問題はそんな善光寺聖と北条氏との関係である
周知のように北条氏は、水上交通の要衝をおさえることで鎌倉幕府の発展に大きく寄与した
日本列島のほぼ全域にわたる沿岸流通を掌握したのが北条氏ではないかと思う
それでは鎌倉時代の内陸交通についてはどうだったのだろうか
あくまで想像ではあるが、善光寺と北条鎌倉との関係は、さきの善光寺聖のはたらきと北条鎌倉の関係によるものではないかと考えている
『沙石集』には、納骨供養のために、鎌倉から娘の遺骨を善光寺に送ろうとした父母の話があり、これは遺骨を運ぶ聖の存在をうかがわせるとも考えられている

そんなふうにしてあらためて善光寺門前の風景を思い浮かべ
そこに13世紀代のモニュメントを並べてみると
現在の本堂より南に下りた場所に本堂があって、その南にまっすぐのびる道があり、その道の脇には館がならんでいる。
その風景は八幡川でいったんとぎれるが、その付近には時宗僧の養阿が経営する療病院があり、川を渡った先には正治元年(1199) に浄土宗の刈萱上人が開いたとされる西光寺がある
そしてその先が犀川である
現在の中央通は(もし後世の改変が無ければ)善光寺の北裏からはじまり、善光寺で切られながらまっすぐ南へのびて丹波島の橋を渡り青木島のあたりまで続いているようにみえる
古代にさかのぼる条里線なのだろか
鎌倉時代のモニュメントは、この善光寺を起点とするこの南北線を軸に配置され、さらに八幡川を境に南北の領域に分けられるようにも見える
あくまで印象にすぎないが
善光寺門前が北条鎌倉の空間とダブってみえてしかたがないのだが
もしそうであるならば、誰がなんのために

しかしこれ以上の探索は京都にいてはできない
実際に現地を歩いて、資料を見て、話しを聞いて
わかることとわからないことを明らかにするために5月19日に
小学校3年から高校卒業まで過ごした街を再び訪れようと思う

古川貞雄・福島正樹・井原今朝男・青木歳幸・小平千文1997『長野県の歴史』山川出版社
平松令三2005「善光寺の信仰とその勧進念仏聖親鸞」『親鸞の生涯と思想
』吉川弘文館
宮下潤子1986「信濃の勧進聖-融通念仏聖を中心として-」『仏教民俗学大系』 第2巻 名著出版

余談:2年前からけいはんなの知的クラスタープロジェクトで言ってきていた、GPS携帯電話とオートジャイロを使った歴史遺産の3D情報の提供を具体化する仕組みと同じものが、KDDIから発表された
http://www.yomiuri.co.jp/net/news/20060328nt03.htm
携帯をとりまく時代は、予測した通りに進んでいる

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