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2006年4月15日 (土)

一遍と中世前期の日本列島と網野善彦

春学期の順番でいけば鳥羽を先に見直さないといけないのだが、この数日一遍に取り憑かれてしまい、似合わないのに車中で本を読んでいる

網野善彦の著作の中で一遍をとりあげたものに『日本中世に何が起きたか-都市と宗教と「資本主義」-』(日本エディタースクール出版部1997)がある
一遍聖絵を軸にして、氏の最も注目していた中世の非農業民の世界を描いたものである
網野善彦によって励起され、日本歴史の中に定着した中世都市ではあるが、その前期的世界については、かならずしも大方の認識が共通となっているわけではない
その証しのひとつが、『中世都市研究』にとりあげられているさまざまな場の中に、中世の前期的世界が少ないことであることは、すでに書いた
しかしこの本を読むと(もちろん、「一遍聖絵」という強い主張をもった史料に導かれながら)、網野善彦が叫ばすにはいられなかった中世前半の都市や都市的な場のイメージを感じることができる

多くの人が『一遍聖絵』と出会うのは、中学か高校の日本史の教科書かその副読本に載っている「備前福岡の市」の場面であろう
しかしもちろん、あれは、豊富な歴史情報に満ちた『一遍聖絵』のほんの一部にすぎない
付け加えれば、信濃国伴野の市庭との対比による13世紀後半の市の姿(不定期市と定期市の関係)
という説明が業界の標準的なものになる
しかしもちろんそれだけでもなく、五味文彦さんが描き、鋤柄がそれを補足した「市と館」という世界もそこにある
しかしもちろんそれも『一遍聖絵』という膨大な歴史情報に、こめられた史料の一部の解釈にすぎない
網野善彦の『日本中世に何が起きたか-都市と宗教と「資本主義」-』は、それを大いなる勇気をもって読み解き、なによりも重要なことは、日本歴史においてそれが示すことの大きさを、これからそれを学ぶ者に示そうとしたものであるということだと思う

鋤柄の履歴をひもとけば
1994 「大坂城下町にみる都市の中心と周縁」『都市空間』新人物往来社が
鎌倉で開かれた中世都市研究会の名称を戴いたその後の「中世都市研究会」の第1回の記録集である
一方『日本中世に何が起きたか-都市と宗教と「資本主義」-』の初出一覧によれば、「一遍聖絵」は1994年になっている
あの時の「中世都市研究会」で、鋤柄に『一遍聖絵』の世界を描くことへの挑戦が出来きていたらと思う
当然ではあるが、その頃の自らの未熟さを痛感する
網野先生が逝って2年経った
石井先生が逝って4年半経った
どうしようもない寂寥感と焦燥感におそわれているだけではいけない

中世前期の歴史の場として取り上げられるところが少ないのは事実
しかしそれはあくまで取り上げる人間の問題
中世前半の日本列島の人々のことは
こんなに詳しく『一遍聖絵』に描かれているじゃないか
それはどこで、何がどのように描かれているのか
網野先生や石井先生から教わったことはなんなのか

大宰府・肥前清水(寺院)・善光寺・伊予菅生(寺院)・伊予桜井・摂津天王寺・紀伊高野山・紀伊熊野(1274)・京・筑前・薩摩大隅正八幡宮(1276)・安芸厳島(1278)・備前藤井・備前福岡市・京因幡堂・信濃善光寺・信濃伴野市・(市屋・四条辻)・信濃小田切・(近江守山閻魔堂・摂津小野寺)・信濃佐久・下野小野寺・白河関の明神(1280)・奥州江刺・松島・平泉・常陸・鎌倉中里・片瀬・伊豆一宮三島(1282)・武蔵鰺坂・尾張甚目寺・萱津・関寺・四条京極・因幡堂・三条悲田院・蓮光院・雲居寺・六波羅蜜寺・市屋・桂・桑駅・穴生・久美浜・伯耆大坂・美作一宮中山神社(1285)・天王寺・摂津一宮住吉(1286)・叡福寺・当麻・石清水八幡宮(1286)・天王寺・尼崎・兵庫・書写山・播磨松原の八幡宮(1287)・備中軽部・備後一宮吉備津神社(1287)・安芸厳島神社(1287)・伊予一宮大山祇神社(1288)・伊予菅生・讃岐善通寺・淡路二宮大和国魂神社(1289)・淡路志筑の北野神社(1289)・兵庫
今年の夏にまわるには多すぎるかな

先週森先生と話しをしていて思い出した
鋤柄が学部3年後期の時の森ゼミは播磨国風土記を題材にした授業だった
森先生は周知の様に考古学が専門だが
すでにそれ以前からではあるが
考古学と文献をあわせた古代学という総合学としての歴史学を提唱し実践していた
だからその授業はそういった森先生の生きた研究そのものと言える
学生は、森先生から播磨国風土記と兵庫県の遺跡の説明を受けた後
各自で興味のあるコンテンツについて調べた
鋤柄は兵庫県の地図を用意し、播磨国風土記に載っている地名を全て書き出し
それを地図に記し、同時に遺跡分布図をそれに重ねた
1980年初頭である
半畳くらいの兵庫県の地図に、「播磨国風土記」の位置のわかっているエピソードと遺跡分布図の重ねたものをつくって、府庁近くの印刷屋さんで縮小してゼミ発表資料をつくった記憶がある
過日、部屋の整理をしていたらその資料がでてきた
今なら作業自体はデジタルマップとパソコンでできるが、位置情報の付いた遺跡と史料のデータベースとしては、現在でも誰もやっていない大きな仕事である
やはり学生時代のバイタリティとはすごいものだと思う

ということで
鋤柄のゼミでは
古代史に興味のある人は『播磨国風土記』をベースに
中世史に興味のある人は『一遍聖絵』をベースに
勉強することになる
と思う
もちろん『洛中洛外図』でも良いし『東関紀行』でも『沙石集』でも

一遍に倣えば
「はねばはねよ、をどらばをどれはるこまの、のりのみちをばしる人ぞしる」
そして
「身をすつる、すつる心をすてつれば、おもひなき世にすみぞめの袖」

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