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2006年4月27日 (木)

鳥羽について考える-ちょっと寄り道-

出勤時、近鉄電車でハイキングの格好をした人たちと一緒になる。
聞くともなく話しを聞いていたら、見るともなく資料を見たら
どうやら洛東の古墳をめぐるグループらしい。
今日は午後から天気は良くなるらしいが、風はまだ冷たい
けれども歴史探索ツアーの企画がしっかりした意思で動いている
とくにどこの博物館の活動というわけでもないようだが
そんな普通の感覚で歴史と親しむ雰囲気のあるところが、このあたりの特徴であることをあらためて実感
こういった人たちへ貢献する方法がもっとあるはずと思いながら高の原で各停に乗り換える
何事も日々勉強

昨日は学際科目の「発動する京都」第2回目で京都大学の西山良平先生による
平安時代の生活環境
いつもどおりの軽妙な語り口ながら
普通の歴史では見えてこなかった平安時代の人々の様子が再現される
途中あまりにリアルでちょっとだけハラハラドキドキもしたが
それも歴史家のなせるわざなり
学びの喜びを感じる

さて鳥羽である
歴史資料館の書庫で報告書にのめりこむ
ところで本論からははずれるのだが
昨日から気になって調べはじめていることがある
鳥羽離宮があった時代、鴨川は現在の流路と異なり
鳥羽離宮より南を流れていたと言われる
鳥羽の発掘でもその痕跡とされるものが見つかっている
そして、それが現在の流路に変わったのが江戸時代初期とされている
ところがその間の経緯がわかっているようでよくわからない
1586年に秀吉によって建てられた方広寺に関わる話しや
角倉了以による高瀬川改修に関わる話しは出てくるのだが
どうもよくわからない
資料の読み方や調べ方が悪いのだろうか
本論ははずれるのだが気になって仕方がない
愉快愉快

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