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2006年5月20日 (土)

大門の遺跡を学ぶ

大方の予想を裏切って、長野駅に着くと天気はそれほど悪くない
MIDORIのビルから駅を出て長野大通りから東急をみるとアネックスができていてまわりにSany0254もお洒落なブティックが並んでいる
あらためて駅前を見渡すと、元気な長野市があちこちにあふれていて嬉しくなる
昔、平安堂という本屋のあった場所に、友人がcellar KITAMURAというワインのお店を出しているので、ちょっと顔を出してからバスで長野市立Pict2807 博物館にある長野市埋蔵文化財センターへ向かう
場所は川中島の合戦で信玄と謙信が直接対決したと言われている八幡原

最初に来たのは小学校の遠足だったろうか
大学院時代に長野県史の仕事で資料調査をしたときに矢口忠良さんにお世話になり
その後、東国土器研究会の原稿を書いたときに青木和明さんにお世話になった
お互いに約20年の時空を越えた再会を実感しながら照れ笑い
今回は3月の大門町の遺跡を担当された宿野隆史さんと森田利枝さんにお話をうかがう
注目される鎌倉時代の溝の遺物からはじめて、遺構の様子や出土状況とあわせてひとつひとつを確認していく

やはりこの業界は、どんな難しそうな研究をしていたとしても結局は実際に遺跡を前にしたり遺物を前にした時に具体的な対応ができないと仕事にならないから、こういったことが一番勉強になる
記憶の霧の中から、もつれた糸を解きほぐして、ひっかかっていた疑問や新たな発見をたぐりよせる
中国製の青磁はみごとに鎬蓮弁ばかりでいわゆる劃花文は無く白磁も無い
これは時期を特定できる大きな要素
土師器皿は、ロクロ以外にみごとに手捏ねがあった
これは鎌倉との関係を語る重要な証人で良いだろう
もちろんそれ以前の時期に園城寺末になっているので 12世紀代の土師器皿が出れば、京都的な特徴の製品も期待できるだろうが、この時期ならば鎌倉との関係で説明して良いのではないかと思う
日本海系の資料や在地系の資料や16世紀代の華麗な資料も豊富にあったが
データが広範で濃いから俄には書き尽くせない
宿野さんや森田さんたちと相談しながら整理ができればと思う

さらに今回、もうひとつの大きな調査成果を教えていただく
3月の大門町の遺跡の約100m南で道路の拡幅にともなく発掘調査が行われていて、そこでも東西軸の溝がみつかっており、多彩な遺物が出土しているとのこと
一部が博物館の展示にあったので見せていただくと、銭貨、中国製品、国産製品、大型の香炉、薄手で淡い色の土師器皿など、14世紀から15世紀代の品々が並んでいる
これは言うまでもなく室町時代の善光寺門前の繁栄を直接物語る資料である
あわせて、守護所推定地の御所遺跡の話しもうかがう
えらいこっちゃである
7月の初めに山梨で考古学と中世史のシンポジウムがあるが、ぜひ注目してもらおうと思う
名残はつきないが、現場を歩き回りたい気持ちも高まってきたので再会を期してセンターを後にする

Pict2803 18時半だがまだ明るい長野駅前で友人と待ち合わせをする
30年前にここであったある出来事が頭をよぎり一瞬胸が熱くなる

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