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2006年5月12日 (金)

緑の城

13日と14日は和歌山県立図書館で、小山先生を偲んでの追悼フォーラムがおこなわれた
和歌山は前日に降り始めた雨が強くもなく弱くもなく降り続いていた
郡山から電車で1時間半ほどであるが、天王寺からの連絡があまり無く、開始時間より早く和歌山に着く

駅の地下で和歌山ラーメンを食べてから、せっかくなので和歌山城を見に行く

和歌山城は、JR和歌山駅と南海和歌山市駅のほぼ中間の虎伏山にある。
JR駅からバスに乗っていくと、和歌川をすぎて左手前方に見える丘がそこになる
東にこの丘をおおきく蛇行する和歌川をおき、西はまもなく紀の川河口で現在の和歌山港につながるが、城の西を南北にはしる国道42号線のすぐ脇の地割りがゆるやかな彎曲をしているため、元々の海岸線は、もっと城に近かったのかもしれない。
ゆえ、一般的な城郭の分類では近世的な平山城とされるが、原型は中世末にみられる海城の範疇に入るとも思う

1585年(天正13)に豊臣秀吉が紀州を統一した時に、弟の秀長に与えるために、藤堂高虎に縄張りをさせて築いた城にはじまる。
最初は若山城と呼ばれ、1586年から秀長の城代の桑山重晴本拠とし、関ヶ原の戦の後Photo_2は浅野幸長が、1619年(元和5)には徳川頼宣が城主となった。
この頼宣のときに、城郭の大改修がおこなわれ、現在見るような壮大な構えとなったという。
浅野時代に大手だった岡口門は重要文化財。

Pict2748 雨に濡れていたせいだろうか、現在の大手から入ってしばらくは気がつかなかったが、本丸へ登る石段にかかりあっと思う
緑泥片岩である
この和歌山から紀淡海峡を渡って西の四国へ、結晶片岩系の岩盤帯が続いている。和歌山や徳島の古墳の石室はその石をつかった独特の風貌をもっている
Pict2751 和歌山城の石垣もまた、この緑泥片岩を使って築かれているのである
大阪城や二条城の石垣を見慣れているものにとってみれば、石垣は花崗岩なので白いものであるが、ここの石垣は緑泥片岩なので緑が基調でそれが風雨にさらされ黒く見えるのである
和歌山の緑泥片岩は弥生時代の石器にも多く使われており、関西の業界ではいたってポピュラーな存在ではあったが、城の石垣という巨大なオブジェには想像が働かなかった

紀ノ川流域の人々の文化を構成する要素のひとつとしての景観は、弥生時代以来、この色彩の中にあったのだ
そして、それが今も生き続けている
これはすごいことだと思う
歴史遺産活用のてがかりのひとつになるような

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