« 中世の善光寺門前を歩く | トップページ | 遺跡探索-平城宮と佐紀古墳群- »

2006年5月24日 (水)

多くの人が平等に遺跡の情報を得られる努力

長野市立博物館で見せていただいた資料を家で再検討しながら
記憶というのもが、いかにあやふやなものかをあらためて確認
現場では、話しを聞きながら、写真をとって、スケッチをして
あれこれ考えをめぐらせてはきたものの
いざ記憶をたどって参考資料にあたってみれば
思い違いしていたことや知らなかったこともたくさん出てくる
もっとも、その積み重ねが新しい発見をうみだす原動力になるので
けっして悪いことばかりではないものの
「いやいやまいったなあ」というところである
さっそく宿野さんに手紙を書く
森浩一先生の言葉に「生涯不熟」というものがあるが
未熟であってはならないが、毎日が勉強ということの実際である

学部の間は「かわらけ」としても史料に登場する土師器の皿ばかり見ていて
それ以外の陶磁器についてはそれほど勉強していたわけではなく
ひろく陶磁器全般に対する勉強の機会をもったのは、大学院に入ってからだった
ただし卒論の資料調査では、一乗谷朝倉氏遺跡と草戸千軒町の資料館と大宰府の調査事務所を訪れ、小野さんや吉岡さん、松下先生、森田さんと横田さんにお会いして、さまざまな陶磁器は見てはいた。
ちなみにその時、松下先生から広島大で土師器の皿をやっている学生がいることを聞いたが、鈴木さん(広島県立歴史博物館)だった
そういえば九州陶磁資料館の大橋さんと初めてお会いしたのも学部時代だった

大学院に入って森研究室の論集を書くことになり、学部時代に長野県阿南町の早稲田遺跡の発掘を手伝った時にたくさんみつかった捏鉢の生産地と編年とその歴史的な性格をテーマにした
その時はたしか名古屋駅前の愛知県青年会館ユースホステルを定宿にして瀬戸と常滑に通った。
両者を比較した東海系捏鉢の編年を整理できたのは、当時瀬戸市におられた藤澤さん(愛知学院大)や常滑市民俗資料館の中野さんのおかげだった
長野県史の手伝いで県内のほとんどの地域をまわって実測をした時に、関西ではあまり見かけることのない珠洲を勉強するために、初めて金沢に吉岡先生をたずねた
事前に報告書を読んでいったが、実物を見てもその変遷の特徴を全く理解することができなかった
けれども、これが縁になって、その後まもなく佐倉の歴博に移られた吉岡先生に、大変お世話になった
最近、その古稀記念の論集が刊行された
短い一文を寄せることができたが、学恩を返し切れていない
その時はたしか別所温泉の上田まほろばユースを定宿にして上田の塩田城関係資料の実測をしていた
鋤柄の初めての活字が「東信出土の常滑について」『上小考古』№17なのはその関係による
大学院2年のときには、平安博物館でお手伝いをしていた
その後東大へ移られた寺島先生から魚住窯の資料の整理の紹介をいただき、大いに勉強をした
鎌倉の蔵屋敷遺跡の資料を見学に県の埋文センターに服部さんを訪ね、手塚さん(青山学院大)に会ったのもその頃だったと思う

就職後すぐに平泉と東北の諸窯を駆け足でまわった
平泉で本澤さんに会って、それとは知らずに飯村さん(福島県文化振興事業団)の掘った八郎窯の資料を見て、仙台で藤沼さん(弘前大)にお会いし、鶴岡では致道博物館の資料を酒井さんにご案内いただき、そして秋田城跡調査事務所の小松さんと日野さんと長い夜を過ごした。新潟の坂井さん(文化庁)にもお世話になった
西日本の各地は、大阪を中心とした研究会のグループで見学する機会をもった

この業界の人間は、常に現場で勝負が求められているもので
計測も重要だが、おうおうにして現場は計測を待っていてくれないことも多い
そのため、この業界の人間は皆、いかにして自分の制御できる生きた知識を蓄積するかに苦心する
鋤柄もその一員として20代の間、ひたすら知識の集積に励んだ
30代はそのデータベースを背景に遺跡研究に移行していった
現在、それを発展させて歴史系諸分野を総合した研究をすすめている
森先生が考古学と古代史を総合させてきたあゆみと重なるものと思っている
そしてそのあゆみと重なるもうひとつのテーマが、多くの人が平等に遺跡の情報を得られる努力である

全国各地で見つかっているさまざまな考古学関係の資料を、その生の姿に近い形で、いつでも誰でもどこでも手軽に入手でき、自由にそれについて考えることのできる環境が、この分野の研究や社会貢献を強く推進するための大きな原動力であることは、もはや誰も疑わないだろう
だから鋤柄のゼミを選ぶ人間は、それを促進するための資料の識別や判別の検討やデータベースの作成もひとつのテーマとなる
そのためには、ものをたくさん見て、とにかく経験値を高めることが必要
ただ、そのためにも、もっと自己研鑽をすすめないといけないと、つくづく思った
生涯不熟である


原明芳2006「松本平の古代末期の寺院考」『信濃』58-5
 以前にたしかK君の結婚式の前に森先生と一緒に、白山関係で訪れた波田町若澤寺についての優れた論文。原さんの良い視点がいかされている。
海津一朗代表2006『中世日前宮領の研究』科研費研究報告書
長野市教育委員会2000『南宮遺跡』巨大な平安時代集落
豊島区遺跡調査会2005『雑司が谷』2
豊島区教育委員会2006『巣鴨』5
福島正樹2004「返抄」『文字と古代日本』1吉川弘文館
長野市教育委員会1994・1995『栗田城』2・3
長野市教育委員会1998『西町遺跡』

« 中世の善光寺門前を歩く | トップページ | 遺跡探索-平城宮と佐紀古墳群- »

遺跡の見方」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 中世の善光寺門前を歩く | トップページ | 遺跡探索-平城宮と佐紀古墳群- »