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2006年6月 1日 (木)

仮説の完成-鳥羽離宮について考える-

鳥羽離宮についてこだわっている
水曜日2講に今出川でおこなっている学際科目の発動する京都で、今年の鋤柄のテーマとして鳥羽離宮をとりあげた

問題の所在は
1、鎌倉時代の京都はわかりにくい
2、その原因は、首都が鎌倉に移ったため、史料で語られるエピソードの量は鎌倉が中心となる。その結果同時代の京都はわかりにくい
3、それに加えて、平安時代後期のある時期から平安京の右京から人々が移動し、左京と鴨東と一条以北に住居がひろがる
4、しかしそのメカニズムと実態がよくわからない
5、結果的に平安京とちがう景観ができあがったわけだが、それがそれ以前の平安京からの類推で推測できにくいものなので、鎌倉時代の京都がどんなものだったのかわからない
6、それならば、鎌倉時代の文献の有無とは別の次元で、右京の衰退はともかく、左京の躍進のメカニズムを説明することができれば、鎌倉時代の京都の姿を復原する手がかりを得ることができるのではないか

である

そこで、そのために、左京が躍進した時代に目立っていた鳥羽離宮に注目して、鳥羽離宮を見直すことでその手がかりを得ようと模索を続けてきた

そのための問題の所在は
1、御所と御堂の組み合わせ
2、複数の地区の存在
3、白河・鳥羽・後白河の利用
4、水上交通の結節点と西国受領の関係
である

その模索の結果をこの2週間、今出川の至誠館32で話してきたが
なんとか一定の仮説の見通しを完成することが出来たかと思っている

杉山信三さんを代表とする鳥羽離宮跡の発掘調査関係の報告書をはじめとして、学芸書林の京都の歴史と平凡社の歴史地名大系と平安京提要から鳥羽離宮に関係する諸情報を取得して
それぞれが解釈している事実関係を年代順に整理し直し
原典にあたるまでできていないが、これまで鳥羽離宮について解釈されてきたイメージからできるだけニュートラルな立場で史料と資料の情報を見直してみた
その結果、平安京提要で上村さんが書いていたことに近い世界を鳥羽離宮の姿として捉え直すことができるように思い
さらに
その背景にあった4つのキーワードについて整理をすることができたのではないかと思う

ただしここまでの作業は、あくまで従来の鳥羽離宮に対するイメージを見直したときのひとつの仮説であって、新たな提案にはなっていない
この仮説がはたして有効なものとなるかどうかの検証がこの後に続く重要な作業となる
あくまで仮説にすぎないのである
とはいえ、仮説といっても、その構築のためにはどれだけ多くの作業が必要で、その試行錯誤はどういったものなのか
仮説というものは、けっして思いつきでできることではないのだということ

そのことを学びの真っ最中にいる学生君たちに知ってもらうためには、今回の試行錯誤とその過程の叙述は、大きな意味をもっていたのではないかと思っている

さて、自らに戻ってみれば、様々な問題をはらみながら平安時代後期から鎌倉時代の京都と日本列島の都市を考えるためのテーマである鳥羽離宮の見直しの仮説はなんとか整った
これから夏に向かってその検証を考えなければならないことになる
例によってボチボチ進めてみたいと思っている

ある個人的な事情により、5月31日の14時9分に京都駅を出て松本に向かい、6月1日の0時18分に帰宅した
この数ヶ月学び続けている世界を実際に体験し、
人間の崇高さと歴史の凄さをあらためて実感した
学びは終わることが無いということをあらためて実感した

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