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2006年7月14日 (金)

長刀鉾-北へ南へ-

四条で地上へ出るとそこはもうすっかり祇園祭だった
先週の金曜日に、えらいこっちゃと思いながら宇治から丸太町へ上がり
高瀬川の船入を見ながら遠くに祇園囃子の音を聞いていたことを思い出す
昨年から蟷螂山町の勉強を始めて
山鉾がもっているさまざまなエピソードの面白さをあらためて実感しているが
とくに応仁の乱以前の山鉾が盛んだった頃の下京の町衆(ちゅうしゅう)の勢いを
とてもリアルに知ることのできるものばかりなので
今年は個々の山鉾のエピソードにこだわってみようかと思い
長刀鉾の前で携帯ムービーを撮る
http://scoophand.cocolog-nifty.com/naginata.3GP

以下保存会の説明による
「貞観年中(9世紀第3四半期)に疫病が流行した際、三条小鍛治宗近の愛女もその病にかかり命が危うくなる。三条小鍛治宗近はそれを心配し、病気が治れば太刀を奉納すると祇園社に祈る。その後病気が治り、小鍛治は喜んで草薙の剣に心をこめて打ち鍛え、感神院へ奉納した。
大永2年(1522)の後柏原天皇の時に、疫病が流行して死者が多く出たとき、ある人が祇園社に祈祷を乞い、宝剣を借り受け、疫病狐狸の妖となす類に預けたところ、たちまち疫病がおさまった。
その霊験の速やかなことを貴び、その長刀をかたどり、守長刀として、盗難除けと疾病退散、一家安泰の守護としてもうけている。」

そんなことを森先生と話しをしていたら、占出山の隅田八幡の鏡に話題がひろがる
すでに森先生の『交錯の日本史』で「祇園祭と隅田八幡宮の銅鏡」として紹介されている
それから浄妙山には天保3年(1832)にイギリスから輸入されたピラミッドの絵「エジプト風景図」が掛けられているという
鎖国の時代にイギリスから、しかもピラミッドとは・・・
祇園祭には多彩で魅力的な京都の人々の文化を歴史を物語る資料が山盛りである
森先生からまた新たな課題をもらってわくわくしながら混雑する四条通りを東へ

京阪四条から宇治へむかう
行き先は宇治市教育委員会なので降りる駅はJR宇治が良いのだがと思いながら
東福寺で逡巡し、携帯のデジタルマップを見ながら伏見稲荷で逡巡し藤森で思わず降りる
名神高速の下を東へ向かいJR線に突き当たって、さて駅はと思いながら南へ歩くが見あたらない
乗換案内で調べたら奈良行きの列車はまもなく藤森に着くはず
ふうふう言いながらひたすら線路沿いを南下すると
最初に快速が、続いて各駅の奈良行きが脇を通り過ぎていく
地図を見間違えて墨染で降りるべき所を間違えてしまったようだ
今日のテレビの星占いが頭をよぎり苦笑い
それでもJR藤森の駅を東西に横切る道は、あの有名な大亀谷越えの街道
常に前向きの気持ちで西にひろがる伏見の街並みの写真を撮る
Photo_3

金曜日
灼熱の奈良盆地を歩き、田原本で小阪氏の館の実に興味深い資料を見学する
新しく重要なテーマがまたひとつ生まれる予感

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