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2006年8月22日 (火)

歴史を見る目について

昨日、和歌山で根来寺について話しをする機会をもったが、遺跡の見方について、あらためてさまざまな勉強をすることができた。
考古学を専門にする仲間達は、一般に最初の勉強を土器や陶磁器や石器で始める。私の場合も、初めての発掘で、土の中から姿を見せる歴史の実物が、その形や色や模様から、時代や生活文化を語ることに感動し、土器や陶磁器の勉強に夢中になった。遺跡の調査員として大阪に就職すると、それはさらにエスカレートした。高速バスで各地の教育委員会を訪れ、土器や陶磁器を見て図面を作り、また高速バスで帰って現場に出た。充実感があった。
そんなことを何年か続けていたある日、薄暗い収蔵庫から外の明るい陽射しの中へ出た時、なにか違うんじゃないかと思った。全国各地を巡ったはずだが、その場所の風の匂いも風景も記憶に無いのである。各地の文化を調べに行きながら、実際は地域と遊離した無機質なモノしか見ていなかったのである。考古学はモノが大事とはいうが、その目的は人間探求。これではモノから出発してまたモノに戻ってしまう。動揺が走った。
そんな頃、大阪府堺市の日置荘遺跡を担当した。そこは中世史の網野善彦さんが注目してきた「河内鋳物師」の本拠地だった。具体的な関係史料を前にして、これまでのような無機質な研究では済まされない状態になった。否応なしに網野さんの著作を猛勉強した。例えば『蒙古襲来』。中世の真ん中にあった、とてつもなく大きなドラマストーリー。登場する多種多彩な人物と地域。交錯する意識と感情。さらにそれらの透徹した関係性。風の匂いを感じ、風景が頭の中に浮かび上がってきた。これだと思った。
翌日発掘現場に立つと、遺跡の向こうに中世の村と人が見えた、気がした。
遺跡に立脚し、関係する多彩な歴史情報を総合させ、臨場感あふれる歴史叙述をおこなうという現在の研究スタイルは、この時に生まれた。



田島公2005「抹消された「湯沐倉」」『正倉院文書論集』
田島公2005「「東人の荷前」(「東国の調」)と「科野屯倉」『律令国家と古代社会』
田島公2006「中世天皇家の文庫・宝蔵の変遷」『禁裏・公家文庫研究』
田島公2006「天皇家ゆかりの文庫・宝蔵の「目録学的研究」の成果と課題」『説話文学研究』
田島公2003「美濃国東大寺領大井荘の成立事情」『季刊 ぐんしょ』
田島公2006『禁裏・宮家・公家文庫収蔵古典籍のデジタル化による目録学的研究』

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