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2006年9月 3日 (日)

頭の中は何時代?

もうすでに終わっておきたかった原稿を引きずりながら近鉄電車に乗る
例によって一番集中できる端の座席に座って、まずは鎌倉時代の京都を振り返りながらR3の扉をひらく
これまでに書いたものを見直しながら、さてどうしようかと思いあぐねて
つい室町時代の京都のファイルも開く
鎌倉時代と室町時代を行ったり来たりしながら
後鳥羽と水無瀬について、いくつか確かめなければならないことがみつかり
追加するエピソードをについてのメモを書き込む
あぶなく伊勢中川で乗り遅れそうになりながら着いた斎宮の空はまだ夏の色を残す碧
Ca330029 スルット関西カードが使えないことに少し狼狽しながら
とても中身の濃い多気の北畠の特別展示を見て
笠置の山を思い出し、さてやはり14世紀は問題だと思う
生活文化としての北畠と景観としての平泉寺だろうか
あるいは上京体制に多気は有効だろうかと思いながら、そう言えば、室町殿についての話しは何度もしてきたが、しっかりした形で書いてはないことに驚く
爽やかな秋風と夏の名残の陽射しを受けながら、とてもユニークな斎宮跡の遺跡展示を通り、体験館の見学に後ろ髪をひかれながら斎宮駅にもどれば
もう頭の中はすっかりごっちゃごちゃ
無事に帰れるだろうか
近鉄津新町駅から歩いて10分足らずのところで、中世史の総合研究を目指す研究会がおこなわれた
今年の幹事は三重県で、テーマは三重らしく「都市をつなぐ」である
東西日本の真ん中にあって、伊勢の海に面した要港を多くもつ
『続日本紀』の文武紀=大宝2(702)年10月10日
持統が三河に御幸した時は、伊勢国多気郡の的形(まとかた)という港から三河へ渡った
東海の陶器をめぐる熊野神人の活躍や綿貫さんの論文も有名
もちろん、ここを拠点にした伊勢平氏の活躍や北条氏との関わりも興味深い
鋤柄的には、「都市」という言葉にとらわれずに、伊勢と伊豆熱海と三浦六浦で考えてみたい気がしているが
いつものことではあるが、全国各地から集まってくる埋蔵文化財や歴史に関わる様々な立場の人々の知的好奇心のパワーのすごさを思い、この分野の研究が、大学だけではなく、いやむしろそんな枠にこだわらないみんなの力で進んでいることを実感する
大学時代、森先生から、同志社の考古学は江戸時代の京・大坂の伝統を引く町人の、在野の学問と研究の系譜にあると教わってきた
今そのスタンスを継承しながら
おそらく同じような思いの中で、この研究会を立ち上げてリードされてきた三人の偉大な先学に思いをはせる

偶然Hさんと帰りが一緒になる
お互いに石和を思い出しながら顔を見合わせて苦笑
昔話をしながら数週間後の再会を約して東と西に別れる

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