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2006年10月24日 (火)

頂法寺

というより六角堂と言った方がわかりやすいかもしれない
天台宗。山号は紫雲山。本尊は如意輪観音
本堂の構造が六角形になっていることで有名
縁起によれば、草創は聖徳太子に溯り、太子が四天王寺建立のために用材を求めて来た時に建立という
「元亨釈書」には、平安遷都の時に、お堂が街路にあったってしまい、5丈(15m)ほど北に移したという
(現在のへそいしが以前のお堂の中心とも)
平安時代前期は天皇との関係が強く、弘仁13年(822)に嵯峨天皇の勅願所になり、長徳4年(998)には花山天皇の行幸をうけ、西国巡礼18番札所

平安時代後期は庶民との関わりが加わる
『御堂関白記』の寛仁元年(1017)には六角小路という地名表示がみえ
『小右記』の寛仁2年(1018)には六角堂で修諷がおこなわれ、『長秋記』元永2年(1119)には六角堂が八幡・加茂・祇園・北野・吉田・清水・広隆寺・延暦寺・法勝寺と並んでみえる。この時期のメジャーな寺社がわかる
『中右記』長承元年(1132)の清水寺と六角堂へ数千万の参詣人の記事は注目

中世に入る頃には一般庶民にさらに広く信仰され、因幡堂・革堂・広隆寺とならぶ洛中の験仏所として、また六波羅蜜寺・清水寺・長楽寺・新長谷寺と共に洛陽七観音としても知られていた
さらに親鸞が比叡山から下り、真宗への道筋を決めることになった建仁元年(1201)の六角堂100日参籠にかかわり、建保6年(1218)までには比叡山末になっている

応仁の乱後は庶民信仰の場として、いわゆる「町堂」的性格が強まったとされ、天文法華の乱の集結地や町組の集会場となり、上京の革堂に対する下京の中心としてその鐘の音が多くの人々の記憶に残った

なお、華道家元として著名な池坊はこの寺の執行

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