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2006年10月25日 (水)

笠置山般若台院六角堂跡発掘調査概報を読む

解脱上人貞慶は、建久5年(1194)8月に、大般若経1部600巻を納める黒漆塗りの六角経台1基をつくり、続いてそれを安置する六角堂を般若台に造営したという
ということはいわゆる経蔵になるのだろうか
記録によれば、六角堂は板葺き3間で本尊は文殊菩薩、さらに茅葺き5間の僧坊と、春日大明神を勧請した小社も近くにつくったという

昭和50年度からはじまった六角堂跡保存整備事業の一環で行われた調査は、その六角堂を解明するためのものであった
調査期間は昭和51年11月5日~12月4日
笠置寺の南約100mに位置し、標高約276mの一尾根上
般若台院の敷地は3段の平坦地から構成され、上段が鐘楼跡、中段が六角堂跡、下段が僧坊跡とされている
六角堂跡の中段と僧坊跡の下段の間に岩盤を削りだした石段が露出
3段は人工的な造成によるものと推定される
調査前の測量では上段と下段では遺跡の痕跡は見つからなかったが、中段では盛り土と下段に取りつく斜面ののりかたで、築地塀の跡と思われる列状の盛り土および、六角堂の東で別の建物跡と思われる段がみつかった。
また六角堂の盛り土の一部には礎石が露出していた
発掘開始は11月12日、最初に表土を除去していったが、近世の遺物包含層などが10~15センチの厚さであり、その下で明褐色の粘質土がみつかる(この層からは遺物はみつからない)
この面で新たな2つの礎石と8つの抜き取り穴を確認
15日に盛り土周辺の外陣の隅の礎石と堂の中心を結ぶ延長線上に礎石を発見し、縁束石と推定。合計13個の礎石と1カ所の抜き取り跡を発見
 平面の全体を調べるために測量をおこない、内陣、外陣縁のそれぞれが、8尺、17.5尺、23.5尺を1辺とする正6角形であることがわかる
20日から測量を開始、1/10の平面図を作成。堂の中心を通る東西南北と同じくやり方の直交する2本の基準線の断面図作成
30日までに測量終了
追加のトレンチを調査し4日に調査を終了

今回の調査のポイントは、六角堂が基壇をもつ土間床なのか、亀腹をもつ高床なのか。縁束石の発見は、六角堂が床張りであることを示す
断面の観察から、この盛り土が亀腹(整地するとき、建物の下だけ地山を一段高く削り残し、土をのせ、その周囲を粘土としっくいとで固める)であり、しかもノリのたちあがりが緩く、鎌倉時代初期の様式をとどめていることが判明した
六角堂の建立時期は文献で建久5年と言われているが、地業の様式と一致する
記録によれば、元弘の乱によって、笠置山は千手堂・六角堂・大湯屋以外は焼けたというが、礎石には焼けた跡が残り、とくに平らな礎石の上面には円柱状の輪郭がみえる
遺構の上に攪乱土が厚く、遺構に関係する遺物が無いのは意外だった
これは六角堂の焼け跡が瓦や灰と共に整理され、新たに土が入れられたからだろう
六角堂の基礎の平面構成は、礎石の残存状況などから単位尺を29.8センチと推定、堂の中心および礎石の間隔を決定した
堂の中心を通る真南北線を単独に求めたが、その線は階段石の中心を通る線と一致し、堂が真南北に向かって建てられていたと判明
縁束石4個は、その痕跡もわからなかった。縁束石をのぞくほかの礎石は、上面が平滑に加工され、内陣と外陣の隅の礎石には近在の打滝・布目川産および横川産の硬砂岩、チャート質の硬い石が採用
ほかは花崗岩
多くは露頭から鱗状に剥離しやすい花崗岩の断片
特殊な建物ゆえ、回転式の須弥壇をもった輪蔵とも思ったが、それを示す仕組みはわからなかった
縁束石同志を結ぶ線の外側にほりこみを見つけたが、雨落ち溝かどうか不明

六角堂は頂法寺と万福寺にあるが、きわめて稀な建築様式
今回の調査ではなぜ六角堂という形にしたかを解明する有力な資料を得ることができなかった
今後の課題

調査名:六角堂跡保存整備事業にかかる発掘調査
遺構名:笠置山般若台院六角堂跡
所在地:笠置町笠置神宮山20
調査面積:約150㎡
調査主体:笠置町
調査委員:杉山信三(近畿大学教授)
昭和52年3月

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