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2006年10月29日 (日)

鳥羽について考える5

例によって、鳥羽離宮関係史料の集成をおこなっている

参考文献は
平凡社『京都市の地名』(日本歴史地名大系27)
古代学研究所『平安京提要』
景山春樹「古代」『城南』城南宮
京都市『京都の歴史』
杉山信三『院家建築の研究』

データ項目数は1114
同じ史料をもとに違った見解があってなかでも泉殿の成立は混沌
Sikou_1 ・承徳2年(1098)4月2日:(泉殿か『京都の歴史』。田中殿か『城南』。証金剛院か『院家建築の研究』)閑院の舎屋を鳥羽殿へ移す。工事担当は丹波守高階為章。閑院御所(藤原冬嗣の邸宅)は白河院第一の近臣、六条修理大夫顕季が嘉穂2年(1095)に造営した邸宅『中右記』。この新造御所については、「泉殿」「田中殿」「証金剛院」の3つの推定がされているが、承徳2年(1098)10月20日の『中右記』に記事により、閑院御所を移したのが鳥羽殿北殿新造御所であるとされているため、「証金剛院」ではありえず、「田中殿」についても、記事の頻出は長承3年(1134)以後であるため考え難い。残りは「泉殿」であるが、その場所が後に「成菩提院」になっており、エリアとしては「東殿」にあたるため、矛盾するとされてきている。ここでは、、「東殿」の史料初出が嘉承3年(1108)であることから、この時はまだ「東殿」が存在しておらず、後の成菩提院の場所が「北殿」エリアと意識されていたのではないかと考えておく。
課題がまたひとつ

それから、卒論でまとめた土師器皿の生産地に関連して
久寿2(1155)2月6日の記事に鳥羽北殿から北大路を東へ行くと、東殿の北で鴨川の河原に出て、その先が深草の土取りだという記載がある
12世紀中頃の土師器皿の生産地を考える時の重要史料になる

・豊島区遺跡調査会2006『高松1』
・牛山佳幸2000「高野山大学図書館架蔵『善光寺如来講式』について」『市誌研究ながの』7
・牛山佳幸2006「近世における善光寺史関係の著作について」『市誌研究ながの』13
・牛山佳幸2005「室町・戦国期の新善光寺」『市誌研究ながの』12
・牛山か幸2006「モンゴル襲来前後の時期における地域社会と仏教」『佛教史研究』49
・杉原和雄2003「5世紀の旦波と倭政権下の古墳について」『古代近畿と物流の考古学』学生社
・杉原和雄1991「京都府綾部市所在の「永久2年」銘石碑について」『史跡と美術』619
・杉原和雄2004「丹後一宮・籠神社所蔵の遺物について」『考古学と文化史』

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