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2006年10月 6日 (金)

一遍から西陣をまわって漸く鳥羽に着いた話

森先生の大切なもの展へ行くと
さまざまな人々の珠玉の作品に混じって
森先生と司馬遼太郎さんが並んで写っている写真がある
入って右手奥である
1983年に古代学研究の100号を記念して開かれたパーティーでのショットである

ひとりで行っていたときはただ懐かしさだけを感じたのだが
先日学生くんたちと行って見たとき
少し違った感慨のようなものを覚えてしまった

このパーティーには鋤柄も末端の陽炎のようにして存在していたのだが
1983年の森先生は55歳である
古代学研究会を主宰してその機関誌を100号刊行し、同時に多くの研究者を育て
東アジア的視野で日本の古代史と考古学の協業を実践していた
そしてあれから23年たった
気がつけば、その時の森先生の歳に刻一刻と近づいている
右隣では、学生君たちが大学者の存在を実感してくれており
左隣では、森先生がニコニコ笑っている
えらいこちゃである

一遍にけりをつけて、日曜の準備で西陣の整理をしながら
いつものことではあるが
やはり京都というところは、コンテンツに事欠かないという点で
歴史好きにとっては、なんぎなくらい良いところだとつくづく思う
今度の上京探索マップは「こだわりの西陣をテーマ」にする予定だが
01 今出川以北を見れば
鳴虎報恩寺の梵鐘や、こんなところになぜかの岩神神社の磐座
釘抜き地蔵の伝説や千本釈迦堂のおかめさん
武藤先生からお聞きした雨宝院にちなむ逸話ももちろん
修学旅行のしおりや普通のガイドブックには載っていないエピソード満載のお寺や神社が
調べきれないほど一杯あるのは当たり前
今出川以南を見れば
現在の通り名と古代の大路小路を比べながら歩けば
地名と微地形に内裏と謎の聚楽第を探る手がかりが一杯
そうそう
過日入手した国土地理院の5m標高という
レーザー測量で作成されたとてつもなく詳細な数値地図を
カシミール3Dで見ながら文化史特論の準備をしていたら
なんと、謎の聚楽第の手がかりにつながるサインを見つけてしまった
これは来週の授業で話しをしなければ

台風と一緒の秋雨前線が抜け、青空がひろがりそうなシーズンINの週末
グループ行動の中高生や、地図を片手の家族連れが地下鉄で多く見られるだろうが
皆さんは京都のどこを訪ねるのでしょうか

ということで、鳥羽離宮の風景を記した『扶桑略記』応徳3年(1086)10月20日条
「公家近来九条以南、鳥羽山荘新建後院、凡卜百余町焉、近習卿相侍臣地下雑人等、各賜家地、営造舎屋、宛如都遷、讃岐守高階泰仲、依作御所已蒙重任宣旨、備前守季綱同重任、献山荘賞也、五畿七道六十余州、皆共課役、堀池築山、自去七月、至干今月、其功未了、洛陽営々无過於此矣、池広南北八町、東西六町、水深八尺有余、殆九重之淵或摸於蒼海嶋、或写於蓬山畳巌、泛舟飛帆、煙波渺々、飄棹下碇、池水湛々、風流之美不可勝計」

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