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2006年11月29日 (水)

ロンドンと京と鎌倉-月と1.6ポンド-

オフシーズンからだろうか、学校単位でのツアーが多い
来るときもそうだったが、2日前は関西のある大学の関係業務が同じホテルであり
今日も別の大学の名前がホテルの掲示板にあった
空港ではマシンガンをもった警官がたくさんいて
今日の見学地は3カ所で金属探知器や手荷物検査があった
けれどもcityの教会は静かに訪れる者を迎え
夜のオクスフォードstはクリスマスの飾り付けでとてもにぎやか
ロンドンはとても良い街である
物価は高いが・・・・

国内、国外にかかわらず
可能な限り20代の内に、それぞれの関心に応じた形で、自分の慣れた環境以外の文化を意識する機会をたくさん持った方が良いと思う
前にも書いたが
異文化との接触という大事業をなしえる旅人を
昔の人はとても大切にした

今のようなテレビやラジオやインターネットが無い時代
定住せずに各地を遍歴する人々は
それ自体が歩くブロードキャスターだった
絵を描き、技を見せ、言葉をつぐみだし、文化を伝え文化を創った
各地の有力者達は、その重要性を熟知しており
彼らを大切にあつかい、また同時に迫害もした

日本列島の場合、木簡がその断片を示し、万葉集がその思いを遺した
律令体制が弛緩する10世紀以降
そんな文化伝播の担い手たちが明確な姿を現す
供御人・神人・寄人・聖・修験者さまざまな芸能民そして海民
日本列島における中世社会とは、まさにそんな文化の拡散と創造が
それをつたえる人間を軸にして、情報と利益という生々しい姿をとり
とてつもない勢いで駆けめぐっていた時代だった
網野善彦という人物の天才性はまさにここにある

そしてこの時初めて
弥生時代以来の個別分散社会であった日本列島の各地の文化が
ぶつかりあい化学反応をおこした
お互いに違う価値観と生活スタイル
西遷御家人を生んだ鎌倉時代は化学反応が始まったとき
南北朝期はまさにその爆発だと思う
人々は異なった文化に接し、とまどいながら認め合っていった

そして室町時代
現在の日本文化の源流が室町時代にあるというのはこれが理由である
ゆえ、現在の日本社会は、中世の文化融合によって生まれたと言える
日本中世とはそんな時代だったのである
(蛇足ではあるが、その意味で弥生時代や戦国時代の緊張状態と南北朝期の状態は
まった質の違うものだと思う)

27072奇しくもロンドンの教会はおよそ11世紀から12世紀にほとんどが出現したという
現在の都市ロンドンの骨格はこの時につくられ
ローマ帝国の支配から解放された人々が、ロンドンをめぐって交錯した
海民の活躍は日本と同じで
ヨーロッパ大陸の諸国とも活発な交流がおこなわれた
中世のロンドンもまた、激しい文化の融合の舞台だったと思う
中世成立期におけるロンドンと京と鎌倉
興味深い研究テーマになると思う

ロンドン塔を出る頃にはすっかり晴れ上がり青空がまぶしかった
27077 うれしくなって、ロンドンで初めての昼食を日本円で1000円もするフィッシュ・アンド・チップスにする
tpwer hillを西へ曲がるとすぐにall HALLOWS by the tower(saxson時代)。無料の音声ガイドがおいてある。東洋系の女性の観光客が二人だけの静かな教会
tower hillを北へ渡ってseething laに入るとその先の西にあるのがst.olave(15世紀)、お墓を併設
fenchurch street駅のロータリーに出て西へまがるとall halloows staining(15世紀)、通りに面して果物屋さんが店を出していた
fenchurch stへ出て東へalgateまで来るとst katherineの大きな尖塔がみえる
西へもどってledemhallの中程にあるのがstandrewでとなりは例の巨大な卵
右折してmary stを北へ行くと、すぐにst helenが見える。正面は西
27097 西へ抜けてbishopsgateを南へ降りると、少し登り気味で最高地点がちょうどローマ時代の宮殿のあったfenchurchとbishopsの交差点
これだから歩いてみないとわからない

そこまで行かずに途中でthredneedleに入り、すぐ北に見えるのがbank of   england
ここに銀行博物館がある
中世のゴールドスミス達から近代的な銀行業が始まった記念の施設
barthlo men laを通って北へ出てlothbury stを西へ行けばすぐにguildhall
27106 南に開いている扉から中へ入ろうと思ったらとめられ、西の入り口へ行けという
難しいところかとおもったっら、やさしいおじさんが対応してくれて中に
中世都市ロンドンを象徴する施設で、日本の戦国時代に港町に自治組織をつくった特権商人達がいた
堺の納屋衆もそのひとつだが、この施設はそのロンドン版の巨大なもの
日本にはどうして出来なかったのだろうかと思う
gildhallからgresham通を西へ向かい、突き当たりを南へ
途中日系企業があり、ビジネスマン達がたばこを吸いに外にでている
このあたりが屈曲している市壁の西側
st martinを西へ折れnewgateをgiltspurまで行くとst sepulchreがあってここが市壁の西の境

そのままold baileyを下がると、途中の建物の入り口でテレビカメラがたくさん並んでいる
だれか有名人が出てくるのだろうか
fleet stまで出て西へむかう
昨日は時間がおそく、入れなかったthe templeをめざす
中世にさかのぼる法学院だが、日本には無い文化だ
27127中心がtemple churchというのが面白い
あえて言えば大徳寺や相国寺や東福寺のような巨大僧院群からなる特殊空間だろうか
日が傾き始めた中をstrand通を急いでtrafalgarに面したst martinへ行く(12世紀)
やはり正面は西
昨日までとうってかわったcityのビジネスマンの喧噪に囲まれながらの教会巡り
あらためてcityはロンドンの中のロンドンだと実感

明日は15時にヒースローへ向かう
それまで、ウェストミニスターの国会議事堂とケンジントンのV&Aの予定

最終日、チェックアウトをして9時半にウエストミンスターに着くと
予想通り雨があがったばかりで天気が良くなりつつある
例によってテムズ川の南にわたりかつての宮殿の位置を確かめる
28009 その後、小島さんの経験を参考にウエストミンスター寺院のチャプターハウスに入る
曰く
as the rose is the flowre of flowres
so this is the house of houses
雨にぬれた道を確かめるように、cityと全く違う街をヴィクトリアまで行き
tubuでサウスケンジントンに出る
前回来れなかったV&Rと自然史博物館に入る
ロンドンの博物館はなぜか楽しい
日本の博物館といったいどこが違うのだろうかと考えながら

ヒースローのパブで
ギネスのショートサイズをもう一杯飲もうかどうしようか迷って1.6ポンドを握りしめてうろうろしていたら
なんとN先生に会う
さらに、飛行機に乗り込んだら別のN先生に会う
畿内の後ろは、またもや帰りの学生君達の集団でいっぱい
座席は幸いにも非常口の横
例によってパソコンの電源を聞いたら、前のシートのエリアしかないと丁寧な対応
「良いですよ」と答えて、結局ワインを飲んだらしっかり寝てしまった
イギリス時間で19時から翌日の朝3時まで寝ていたので
日本時間で午後1時に起きたことになる
しまった、時差ぼけ必至だなあと思いながら眼下に日本海を見る

王と市民と教会と職人と商人と市場と
水の道と川沿いの道と山手の道と
前も感じたことだが、cityやwestminsterでは、歴史遺産というものが少しも特別なものではない
時代にあわせて少しずつ姿を変えながらも生き続けている
london walkをタイトルにした本もたくさん出ていた
上京探索マップの参考に買ってくれば良かった
地球は広いけれど狭い
さあ、たくさん考えよう

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