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2007年1月20日 (土)

今出川を歩く(5)

○千両が辻
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.45.5.928N35.1.35.604&ZM=11
今出川通と大宮通の交差点が「西陣」の中心地といわれる千両が辻
西陣の大いなる繁栄をそのまま表現した地名として有名
「西陣」とは、応仁の乱のときに山名宗全に代表される西軍がこの地を本拠としたことに由来する
すでに平安時代から織物職人の中心地がその南にあり
応仁の乱以降、堺から取り入れた新しい技術などにより大きく発展
日本の織物文化を代表するその技術と伝統を今に伝える
堀川今出川に建つ「西陣織会館」がその西陣探索の出発点
この交差点を南にいった大宮通沿いには
町家を利用したさまざまな施設が並び、古い街並みの中に新しい京都の文化が創り出されている
この交差点の北から西へ行けば
西陣の面影をそのまま残す紋屋町や黒門町の石畳が旅人を迎えてくれる
耳を澄ませばどこかで機織りの音が聞こえてきそうな

○首途八幡
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.44.57.368N35.1.37.869&ZM=11
智恵光院通という優雅な響きの通りをあがったすぐ西に
「かどで」八幡がある
12世紀終わりに大分の宇佐八幡から勧請されたと言われ
源義経が平泉へ向かうときに寄ったといういわれが有名

義経をまもり平泉の藤原秀衡のもとへ案内したと言われる東北の大商人、金売吉次の京都屋敷がこの近くにあったとも言う
「平治物語」では宮城県の多賀城市にあった国府を本拠として毎年京へ上がって金を商売したという
中尊寺近くの長者ヶ原の地名の由来ともなり
炭焼藤太伝説ともつながって語られている

古代中世の社会はどうしても京都を中心に語られることが多いが
はるか遠くの地でも豊かな文化と生活が営まれていたことを示す意味で興味深い

○般舟院陵
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.44.44.86N35.1.37.455&ZM=11
後柏原天皇の母で後土御門天皇の典侍となった源朝子の陵
また、後土御門天皇の母の藤原信子や
後奈良天皇の母の藤原藤子などの墓や
後土御門天皇の分骨の塔もある

その西に後白河天皇の皇女で賀茂の斎院ともなった式子内親王塚と伝えられる石仏がある
またこの地は藤原定家の時雨邸とも言われ
この塚は謡曲「定家」にみる
定家が式子内親王への恋心を伝えた葛の塚と言われる

○千本釈迦堂
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.44.44.86N35.1.37.455&ZM=11
京都と言えば平安の都というキャッチフレーズがすぐ頭に思い浮かぶ
けれども残念ながら、今日の京都の街中で平安の都を直接物語る建築物を見ることはできない
多くが室町時代以降で、もちろんそれも極めて重要な歴史遺産であることに違いはないのだが、鎌倉時代の建築物についても稀
というか
京都の街中で平安時代に最も近い建築物が残っているのは実はここの本堂だけ
もちろん国宝である
正式な寺名は大報恩寺
承久3年に、「猫間中納言」として有名な藤原光隆の従者の岸高が、この地を義空に喜捨し
小堂と仏像が安置されたことをはじまりとする
室町時代になって足利尊氏の命で涅槃講がおこなわれ、以後庶民の信仰を集める
また本堂の南西には、足利義満が明徳の乱で敗死した山名氏清を弔って建てた経王堂がある
本堂建立に際してのエピソードをもつおかめ像も有名

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