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2007年1月18日 (木)

今出川を歩く(3)

○花の御所と室町通
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.45.38.797N35.1.33.16&ZM=11
烏丸通と同様に平安京の路の名称を残した通の北への延長
鎌倉時代以降、京都の街並みは一条を北へ越え
室町時代は、この通に面して東に花の御所が築かれるようになり
この通がメインストリートとなった

どの歴史の教科書にも載っている室町幕府のおかれた「花の御所」であるが
その名称はここがオリジナルではなく、それ以前にあった貴族の邸宅の呼び名を継いだもの
また「室町殿」と呼ばれるのは、「花の御所」の正門が室町小路に面していたことによる
室町時代後半の「洛中洛外図」によれば、当時の京都はほぼ現在の上京区と中京区のふたつの中心からできており、それ以外の地は田圃や畠などであった
この室町通はそのふたつの中心をつなぐ路であり
現在の東京にたとえれば、「花の御所」周辺を「皇居」と「霞ヶ関」として、祇園祭の山鉾を競った町衆(ちょうしゅう)の中心を「銀座」にたとえれば、室町通は、桜田門と歌舞伎座をむすぶ有楽町マリオン前の大通りのようなものだろうか

○新町通
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.45.32.047N35.1.34.185&ZM=11
平安時代に町小路と呼ばれた通の延長にあたる
平安時代には、今出川通の南の修理職殿地区に、内裏につとめた多くの職人さんたちの住宅街があり
そこが商業地区として賑わった「町」になったという
町小路の名称はそれに由来する
なお鎌倉時代になるとこの通の北に築かれた持明院御所が後の北朝の拠点として大きな勢力をもち、教科書には書かれていないが、鎌倉時代の京都の中心地となった

ちなみに今出川を上がった新町通は、同志社大学新町キャンパスに突き当たり、軸を東にずらす
現在その通がそのまま北へのびて寺ノ内通に達するが
実は新町キャンパスから北へのびる通は新町通の延長だが新町通ではない
新町キャンパスの北の本当の新町通は
その通の一筋西を北へのびる細い路で、さきの持明院御所跡にあたる
光照院の東を通る路である

それでは新町キャンパスの東を北へのびる道はなにか
実は誰もそれを知らない上京の七不思議?のひとつ?

○小川通
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.45.25.583N35.1.35.317&ZM=11
現在は暗渠になっているが、かつて上立売から一条まで、この通の西側には堀川へ流れ込む川が流れていた
そのため現在は「おがわ」だが、かつては「こかわ」または「こがわ」と呼んだ
平安京の街路にあたる西洞院大路と油小路の北の延長にはさまれた通りで
秀吉による京都改造によると言われているが
「徒然草」89段には連歌の法師が夜に小川の端で「猫また」に会うというエピソードがあるため
すでに中世に溯ってあったらしい

室町時代後半の洛中洛外図には、この通に沿ってにぎやかな商店街があったことが描かれているが
なぜかわからないが、中には小川の上にまたがるように建てられた家もある
洛中洛外図と言えば、祇園祭の風景に象徴されるような
室町時代後半の京都の繁栄を描いた作品でもある
しかしその洛中洛外図の中で、繁華街を象徴する場所としてとりあげられるのは、四条界隈ではなく実はこの小川通沿いの風景が多い
その意味で、室町時代後半の京都を代表する繁華街は
ここだったと言って良いと思う

また、この商店街の西側には、現在、京大の近くにおかれる百万遍や
丸太町寺町にある革堂や寺町京極にある誓願寺などが軒を連ねていた
その様子はあたかも寺町の様である
ちなみに今出川からこの小川を上がったあたりに
戦国大名を代表する細川氏の屋敷があった
室町通りにあった花の御所からこの小川通りまで
今出川通りは室町時代の最も華やかなところを横切ってきたことになる

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