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2007年1月10日 (水)

西陣マップ製作余話-シネマトグラフと稲畑健太郎-

昨年の終わり頃から、京都市内の歴史遺産ポイントのいくつかで、それまで無かった説明板が設置されたところがある。
今出川キャンパスの西門にある「薩摩藩邸跡」の石碑に説明板が付いたのも、そのひとつ
これまで日本の文化と歴史に欠かせない街として、あまりに有名すぎた京都だが、埋蔵文化財だけでなく、意外にもまだまだ知られていない歴史遺産ポイントの多いことが改めて確認され、充実がはかられているのだろう
とても良いことだと思う
年末には、その「薩摩藩邸」が記されている古地図も入手できたので、これもあわせて授業で活用と展開を考えたい

070110_14440001 そんな行政が主体の整備の一方で、地域が主体となったさまざまな活動もおこなわれており、この写真もその良い例
千本通りと言えば、二条以南は平安京の中心軸だった朱雀大路として有名で、実際に二条駅の東からは、その西側溝が見つかってもいる
一方二条以北は平安宮の中にあたり、中でも丸太町から上長者町周辺は平安宮の最重要施設だった大極殿や内裏にも近く、これまた平安京の歴史を語るときに欠かせない場所

それではそこからさらに北の中立売から一条あたりはどうかというと、これが知る人ぞ知る、日本映画の源流の場所
西陣探索マップの作成で並木さんが調べてくれたものと

ふたつのサイトから少し紹介
詳細はぜひこちらを御覧下さい
「京都の初期映画事情(1896-1912)-シネマトグラフと稲畑勝太郎」:鴇明浩&水口薫
http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/NO1/SUBJECT1/INAJAP.HTM

「稲畑健太郎と京都産業の発展」
http://www.joho-kyoto.or.jp/~retail/akinai/senjin/inahata-1.html

立役者は稲畑勝太郎(1862~1949)という人物
京の由緒ある和菓子屋の生まれとされる彼は、長じて京都府師範学校へ入学
その優秀さにより勧業生として15歳で、最先端染色技術を学ぶために8年間のフランス留学

帰国後は、京都染工講習所の所長を務め最先端技術を指導し、また官民をあげた京都織物会社の設立に奔走
明治23年(1890)三条大橋東の店を経て西陣に「稲畑染料店」を開業
フランス時代の人脈や経験を活かして、問屋を通さずに合成染料の輸入販売や、国産染料の開発などをすすめる

大いに京都経済の活性化に貢献した著名な人物のひとりであるが、その彼が同時に日本映画史上にも名高い人物で
リヨン時代の同級生だったオーギュスト・リュミエールリュミエールが発明した「シネマトグラフ」の成功を聞いた彼は
欧米の文化の実況を日本に知らせるための最適の機械として、その「シネマトグラフ」という撮影と映写のできる機械とフィルムと興行権を譲り受け、ひとりの映写技師兼撮影技術者と共に帰国

さっそく映写を、ということになるが、今と違い電灯がまだ不完全の時代、大変な苦労の末に
当時の京都電燈株式会社の庭(現在の河原町蛸薬師東入る北側の旧立誠小学校の敷地)で、試写実験に成功したとされる
そして、明治30年2月15日に大阪の南地演舞場で第1回の有料上映を開催
これが、日本における映画の幕開けを記念する有名なエピソードである

映画史の詳細に従えば、「シネマトグラフ」とは別にエジソンが発明した「キネトスコープ」というものがあって、こちらも重要な映画史の主役とのこと
とは言え、「日本で最初の興行者は稲畑勝太郎であることは間違いがない」とのことで
これはやはりすごい

その後、「シネマトグラフ」の興行権は稲畑氏の友人に譲られ、それが横田兄弟商会となり、明治40年に千本座の牧野省三と出会うことで、その後の活動写真の繁栄が始まることになる
歴史は運命と縁で動いている
[GPS情報URL]
http://walk.eznavi.jp/map/?datum=0&unit=0&lat=%2b35.01.37.90&lon=%2b135.44.34.02&fm=0
千本通の歩道沿いには、そんな千本通り繁栄を物語る案内板が設けられていて、京都の文化の厚みを実感することができる


070110_14550001
その写真を撮り終えたところで、和菓子のコラムを思い出し、北野天神の南ある粟餅の澤屋さんへ行く
店に入り注文をすると、ご主人がいきなり粟餅のかたまりを握ってちぎり、きな粉と餡の鉢へ放り込む
その存在は「毛吹草」に見え、徳川五代将軍にも溯る技術と伝統のお店である


070110_17270001もちろん美味
良いものを見せていただきました
[GPS情報URL]
http://walk.eznavi.jp/map/?datum=0&unit=0&lat=%2b35.01.39.96&lon=%2b135.44.06.37&fm=0



070110_15090001さて、今出川へ戻ろうかと思った時
聚楽第の北の堀の痕跡を示す石垣が、一条大宮の西北にあることを思い出す
実物は一条通から北の奥に入っているので直接見ることはできないが
一条から大宮を上がって南をみると、一条の北から一条の間と中立売の南で、確かに傾斜が急になっている
現在推定復原されてきている聚楽第の範囲は、足利健亮さんが復原したものよりずっと複雑で、この段差もそのひとつになるのだが、それぞれのモミュメントが聚楽第にとってどのような意味をもつのか、いまひとつよく070110_15100001わからない

来週の文化史特論はいよいよ最終回
秀吉の京都改造である
例によって臨場感のある試行錯誤を話そうと思う

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