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2007年1月21日 (日)

今出川を歩く(6)

○上七軒
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.44.24.3N35.1.36.125&ZM=11
西陣を近くにひかえ、古風な趣をもった花街として知られ
大正初年で約30軒の茶屋が並んだ場所
由緒書によると
往古より七軒茶屋と呼ばれ、足利将軍のころに
北野神社造営の時にあわせて建てられた
太閤秀吉も北野の右近の馬場の遊覧で七軒茶屋で休み
名物の御手洗団子をめでたという
すぐ東が老松町
町名の由来は現在は北野社境内に移った老松社がここにあったことから
老松社は北野天神の摂社で祭神は島田忠臣翁
神徳は植林と林業
祭神の島田忠臣は、菅原道真の家臣または夫人の父ともと伝えられ
道真が配流先の大宰府で自らの無念を神々に訴えるために天拝山に登った時、道真の笏を預かったというエピソードをもつ
道真に命ぜられ松の種を現在の北野天神に蒔き、後に道真の霊が北野に降臨した時、多数の松が一夜にして生じたという

○北野天神
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.44.19.447N35.1.29.53&ZM=11
菅原道真を祀る有名な神社
道真は延喜元年(902)に藤原時平の讒言で大宰府に流され死ぬが
その後時平の死をはじめとして数々の厄災がおこり
延長8年(930)には請雨の会議中に清涼殿に落雷
これを都では道真の怨霊と懼れ雷神・天神ともむすびつけられる

一方天慶5年(942)、西京に住む多治比文子に
北野右近馬場に祀れという託宣があり
また近江比良宮の禰宜神良種の息男に、北野右近馬場に道真の霊があるとの託宣があり
良種が北野朝日寺の最鎮とはかって社殿を設けたのがはじまりという

北野の地はもともと農耕に関係する祈雨の神が祀られており
そこに天神としての道真の霊があわせて祀られたのではと考えられている

境内の西を天神川が流れ、その左岸の堤は秀吉の築いたお土居の貴重な遺構
またそのすぐ東の梅園でひらかれる2月の梅花祭は有名
毎月25日には天神さんの縁日がひらかれ
古着や古道具を求めて多くの人があつまる

○北野廃寺
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.44.4.446N35.1.27.715&ZM=11
飛鳥時代に創建された平安京成立以前の寺院跡
文献には常住寺とも見えるが確定できていない
発掘調査により東西200m、南北240mの境内が推定されている
常住寺を示す「野寺」の墨書土器が発見され
また「鵤室(いかるがむろ)」と読める墨書土器がみつかり
聖徳太子のブレーンだった秦河勝に関わる寺院とも考えられている

史料によれば、太秦広隆寺が現在の場所に移る前は
紙屋川(天神川)上流右岸の北野神社から平野神社のあたりにあったとも考えられており
この寺院跡と太秦広隆寺(蜂岡寺)の関係も否定できない状況にある

秦河勝は京都盆地を代表する古代氏族であり
その本拠は、蛇塚や双岡の山頂など太秦に集中する古墳から嵯峨野にあったと言われている
しかし「天暦御記」(拾芥抄)によれば、大内裏は秦河勝の邸宅跡だったとされており
ここが広隆寺の旧地であったならば、
嵯峨野は秦氏の葬送の地で
その本拠はここから南東にかけての一帯だったことになる
上京は平安京以前から京都盆地の中心だった可能性があるのである

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