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2007年1月19日 (金)

今出川を歩く(4)

○白峯神宮
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.45.21.568N35.1.36.593&ZM=11
元は飛鳥井家の邸宅
飛鳥井家とは、藤原道長の孫の師実にいた16人の子のうちの一人
忠教の曾孫の飛鳥井雅経(1170~1221)が祖とされている
鎌倉時代を起源とする、和歌と蹴鞠の二道に秀でた家系
現在の白峯神宮がサッカーに関係しているのは、これに由来する

彼は祖父の頼輔から和歌と蹴鞠を学んだとも言われ、父が配流された後、関東へ下って源頼朝・頼家に厚遇され、大江広元の娘と結婚
その後蹴鞠によって後鳥羽院(1180~1239)に招かれ上洛して近臣となり、院歌壇の形成とともに歌人として成長し、新古今和歌集撰者の一人ともなる
藤原定家らの京都歌壇と源実朝らの関東を結んだ特異な人物だったと言える

鎌倉時代の京都のことは実はよくわかっていない
もちろんどの教科書にもこのことは触れられていない
そのキーマンとなるのが後鳥羽院であるが
彼は今出川通周辺に(正確に言うとその北を東西にはしる五辻通沿いに)関係する人物を多く集め、あたかも後鳥羽王国のような地区を築いている
飛鳥井家も同様にしてここに館を構えたのではないだろうか

○堀川通
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.45.17.09N35.1.35.443&ZM=11
平安時代は祇園社の堀川神人による材木の集散地として
近代は友禅染めに不可欠な存在として知られる堀川
市内の交通量の増加によって徐々にその姿が縮小され
現在その面影は、一条通周辺でしか感じることができない堀川

そんな堀川について
地面の下のことなので、それこそあまり表にでてきていないが
もうひとつ大きな特徴がある

上京の地形は大きく3つの谷にはさまれたふたつの丘でできている
一番東の谷を流れている川は鴨川、一番西の谷が天神川
中央の谷を流れているのが堀川である
洛北の山に降った雨は基本的にこの三河川を流れて淀川に集まることになるが
洛北の山にしみこんだ雨水のうち、とくに賀茂川と堀川の間を浸透しくものは
北東が高く南西が低い京都盆地の地形によって西へ西へ移動し
堀川の東の斜面から湧き出て清らかな名水を生み出していると言う
今出川通をはさんだ堀川通の東には、有名な三千家の邸宅が並ぶ
京都府庁の南西にあったと言われる名水の滋野井もやはり同じ地形にあたる
堀川のもうひとつの顔は名水のラインなのである

○京都市考古資料館
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.45.8.884N35.1.36.036&ZM=11
日本の歴史と文化の中心である京都は、それを具体的に物語るものとして
日本で一番豊富な遺跡の密集地でもある
それらの遺跡は、限られた文献史料にあらわれない豊かな歴史の存在を
私たちに伝えてくれる
そんな京都の遺跡をすべて網羅し、展示公開している施設がここ
京都の歴史を学ぶ人は必ず訪れないといけない場所
建物は元の西陣織物館
通りに沿って「西陣」の碑が建つ

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