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2007年2月18日 (日)

居籠祭

同志社大学京田辺キャンパスのある、南山城(みなみやましろ)は
奈良と京都、それから難波の海をむすぶ偉大な木津川回廊である
ゆえ古代以来、大王やその周辺の人々に関わるさまざまな伝承や遺跡がいたるとことにあって
森先生の考古学の授業では、古事記や日本書紀に登場する南山城の記事と遺跡の関係をたくさん学んだ
(このサイトのどこかに、森先生と選んだその代表的な50の歴史遺産の紹介がある)
地に足のついた、臨場感あふれる歴史体験の典型であり
同時にそれは、地域とつながった生きた歴史遺産活用にもひろがる
そんな南山城の古代で最も有名な人物が武埴安彦
時代は崇神の頃
奈良盆地から木津川回廊をぬけて北へむかう崇神の軍を遮ったのが彼で
泉川や祝園など多くの地名の起源が記紀に語られている
椿井大塚山古墳にも関わる詳しい話は来年度の授業ですることとして
戦いによって敗れた武埴安彦の亡くなった地に由来するのがふたつあり
そのひとつが山城町の湧出宮(わきでのみや)
昨日と今日はその神社で居籠祭(いごもり)祭があった

場所はJR京都線棚倉駅のすぐ東
正式な名称は和伎座天乃夫岐売神社(わきにいますあめのふきめ)
延喜式に登場し、9世紀に清和天皇が降雨の祈りをおこなっている
もともと、この地には弥生時代の集落があり
土器の特徴には近江との関係や大和との関係がうかがわれると言う
大和の玄関口にあたる木津川回廊の南部
対岸がやはり武埴安彦の伝承をもつ祝園神社である
そのすぐ西には5世紀に渡来系の人々の村もつくられた
まだうまく説明はできないが、木津川をはさんで弥生時代から続く南山城の重要拠点である

居籠祭は武埴安彦の敗死後に悪い病気がはやり
これを死者の霊の祟りと考え忌み慎んだこと
または、鳴子川の東から大蛇(水神)がきて人々を悩ましたのを勇者が鎮めたことを由来とし
毎年陰暦の正月の牛・未・申の三日間におこなわれてきた
Dsc00384 今年から土日にすることになり、昨日と今日となった
物音を慎み精進をし
夜におこなわれる野塚祭では、神職が境外の野塚へ農耕具や御供を納める姿を見てはいけない
昨日はあいにくの雨
7時半からの祭りにあわせて同志社前から木津経由で棚倉へ
棚倉で降りると鳥居は暗い雨の中
中学生が駅前にたむろしているので
はて、と思って鳥居をくぐると奥に屋台の明かりが見える
Dsc00396_1 そぼふる雨にもかかわらず賑わいである
さすが無形民俗文化財の祭
境内に入ると社務所で雅楽が鳴り響き
小降りになった雨の中、拝殿に氏子総代がならび祭りの開始を待っている
本殿から高盛、魚、御神酒などを配り受ける儀式がおわる8時半
脇に積まれていた大松明に火がつけられる
Dsc00390 雨のやんだ後の強い北西風にあおられ勢いの強い火が天をこがす
20分ほどかかり大松明の火が収まり始める頃再び雨が降り出す
南山城の歴史を物語る祭りは今も当たり前に生きている
http://scoophand.cocolog-nifty.com/tugomori.mp4

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