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2007年3月 6日 (火)

聚楽第探索ツアー後編

ただ、もうひとつ確認しておきたいことがあった
現在の地名情報の検証である
実は、現在の京都市内の地名は実はかなり新しい時期のもので
それをそのまま中世まで溯らせるのはむずかしい
これは京都だけではなく、以前に河内鋳物師の研究をしたときも、多くの字名が近世以降のものであることがわかり、そこからの復原に苦労をした経験がある
京都の場合も、明治になってできたものや、江戸時代に移動してきた町もあるという
そんなややこしい京都の地名情報の整理をどうしたらいいかと思っていたら
これについては地名地図研究の専門家が一定の成果をあげており
それが湯口誠一さんの「町名の軌跡-聚楽第跡と上京の替地-」
ところがこの本は、100号記念は同志社にあるが200号記念は無い
田辺の図書館で相談したら大阪市立図書館にあるという
ということで25日には大阪へ

その研究によれば
例えば現在千本の一条に伊勢殿構町があって、これも聚楽第の周辺にあった武家屋敷の関係とも言われているが
これはもともと新町上立売か烏丸今出川にあった伊勢氏の館の周辺にできた町がその後に移動したもので
実際に先年の今出川図書館西の発掘調査では東西軸の堀がみつかっており
それがまさに伊勢殿構町の痕跡そのものだった可能性がある
これで検討すべき事前の準備は整ったことになるが
そこで問題となるのが天秤堀の存在である
湯口さんも課題とし
おそらく西田直二郎さんの知見を受けた森島さんの復原にそのまま反映されていると思われるその情報

この業界では、実際に現地を歩いてその地形やなにかの痕跡を感じた人の情報がとても重要であり
現在知られている最も有名なものが
智恵光院新出水西の竹林寺の窪地
それから東堀の井戸
それから大宮一条西北の石垣になっている段差
それに対して天秤堀はこれらの現地情報には曖昧だが
18世紀の地図に登場し、その後も畑地となって明治に続くもの

ところで技術の進歩は携帯電話と地デジだけでなくあらゆる分野におよんでおり
この業界でもさまざまなデジタルデータの活用による研究の進化が試みられている
その代表が遺跡情報の3次元化であり
なかでも遺跡全体をレーザーなどによってリアルにアーカイブしようとする試みはまもなく実用段階に入ると思う
その最も大きな仕事が遺跡の乗っている地面のレーザーによる3次元化だが
去年から国土地理院によって整備された東京・京都・大阪などの5mメッシュによる標高データが頒布されている

これまでの標高データは50メートルメッシュだったので、格段の精度アップである
そこでこれで聚楽第の周辺をみてみると見事に竹林寺の窪地も表現され
さらに千本通りの東にそって南北に続く窪地も見ることができる
もちろん大宮一条西北の段差もわかる
学生君たちを連れての現地探索でも注意していたが
中立売通りの南と千本通りの西には見た目でもよくわかる段差が存在している
実はこのデータだ入手できる以前は、実際に手測りでデータ取得しようかとも思っていた

これらの段差がいつできたのかの検証をしないといけないが
聚楽第周辺の地形がマクロ的には北西が高く南東が低く
『京都図屏風』に描かれた聚楽第の東と南に土塁のような表現があるのはそのためだ
という指摘とあわせれば
とくに千本通りの東に沿って南北にみられるくぼみは
聚楽第の西の堀を示す可能性が強いのではないかと思われる
ところが江戸時代の地図に登場して、最もその痕跡がみられそうな天秤堀がこの標高情報には見えないのである
これはどういった理由によるものだろうか
謎の天秤堀である
聚楽第に関わるものなのだろうか

そんなこんなで聚楽第とつきあっていたちょうどその時
聚楽第を描いた絵画資料として最も有名な
三井文庫所蔵の聚楽第図
堺市博物館所蔵の聚楽第行幸図
南蛮文化館の洛中洛外図
瑞泉寺縁起
(これらはいずれも京都市歴史資料館の企画展図録『聚楽第と京都』2000より)
以外に尼崎で市民からよせられた文化財資料の中に洛中洛外図屏風があって
これがきわめて稀な聚楽第を描いている江戸初期の作品で
すでに『歴史読本』で2004年の10月に紹介されているが
その修復が終わり、尼崎信用金庫の博物館で公開され、さらにそのシンポジウムが行われるということで一路尼崎へ

この洛中洛外図をはじめ、尼崎の文化財調査に尽力されている京都工芸繊維大学の並木先生による地域における博物館・美術館の役割についての講演を拝聴
歴史遺産を社会にどのように還元しいかしていくかは、これからとても重要になるテーマで
鋤柄も学部と大学院を通じた授業でとりあげていきたいと考えている
今回の尼崎のシンポジウムと並木先生たちの仕事は
まさにそれを実践しているもので大いに学ぶところがあった
なかでも尼崎は博覧会資料が豊富だという
並木先生が言われるよう、博覧会とはそれをおこなった時代の最も輝いている文化が凝縮されたものである
いわば情報のかたまりでもある
ロンドンの博物館では大英博物館が有名だが、V&Aもとても面白い
それはV&Aが博覧会資料の展示をしているからではないかとも思う
そこに行けば、その時代のすべてが等身大で体験できるのである
別の見方をすれば、博覧会資料の情報化はそのまま時代の文化のアーカイブとも言えるような
鋤柄ゼミで誰かテーマにしてくれても良いと思う

そんなことも思いながら尼崎の寺町を横切って尼信の立派な博物館へ
(ここはコインのコレクションもすばらしい)
この洛中洛外図については、すでに市教委の伏谷さんが考察を発表しているが
伏谷優子2005「聚楽第と聚楽第行幸が描かれた洛中洛外図について」『文化史学の挑戦』思文閣出版
実物の観察ではそれと少し違った印象も受け、非常に勉強になった
(これについては楽洛キャンパスの授業で)

展示資料には
尼崎らしく瀬戸内海航路の史料や朝鮮通信使のみごとな史料もあり
(朝鮮通信使については学部時代に「日本の中の朝鮮文化」で学んだことがある)
平安時代中期以降、砂で航行不能になった淀川河口に代わり
神崎川から垂水を経由して三国から淀川を経由した京の外港として
中世前期には大物遺跡という港湾都市遺跡で有名な
尼崎の場所の特質を実感することができた

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